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積極的“巻き込まれ力”のススメ

私は、オリンピックを見ない。

別に「オリンピックなんか見ないもんねーだ!」と思っているわけではなくて、特に自分の意志で「絶対に見たい!」という熱量がないだけだ。テレビドラマや正月の駅伝などもそんな感じで、アニメ以外は自発的に見るということがあまりない気がする。

ところがこの夏、我が家のテレビでは結構な頻度でオリンピックが流れていた。テレビがついていれば、私も子供も吸い込まれるようにソファに座り、気づけば「詩ちゃんがんばれ〜!」とか「スケボのみんな、楽しそうだね〜!」とかわいわい言うようになった。これはこれで楽しい。

この光景を生んだのは、近所に住む私の妹だった。

知らなかったのだけど、妹は「実はけっこうオリンピック好き」らしく、スケジュール表とリモコンを片手に各種目を追いかけていた。だから、我が家に遊びに来たときも「柔道の決勝が……!!!」と言いながらテレビの前を陣取ったわけだ。

そして、妹を中心に家族みんながテレビを囲んでわいわいする。自ら積極的にオリンピックを見るわけではなくても、一生懸命に競技に挑む選手たちを見て「ああ、がんばれ!!!」と拳を力が入った。勝ったらガッツポーズが出たし、負けて涙する選手を見れば涙が出た。オリンピックを見る多くの人と同じように、頑張るアスリートに勇気をもらう、という経験をしたのは何年振りだっただろう。

みんなで「がんばれーーー!」と叫んだり、「あの審判どうなのーーー!」と悔しがったりする時間は、妹に「ここでオリンピック見ていい?」と言われなければ生まれなかった。転んだスケボの選手を見て、6歳の娘が「トライしたことがえらいよね」と言ったとき、オリンピックを見ていなければ、こんな娘の一面に出会えなかったかもしれないなあと思った。家族みんなでテレビを見た日を、子どもたちもいつか思い出すかもしれない。

テレビから目が離せない家族の顔を見渡しながら、誰かに巻き込まれるのも悪くないね、と思った。

思えば、そういうことが結構ある。夫が「おもしろいらしいよ」と言った海外ドラマを一緒に見始めたら夫婦の会話が増えたり。友人に「このイベント、一緒に行こう!」と言われて行ってみたらめちゃくちゃ楽しくて趣味が増えたり。そういう、人に誘われて行ってみたら案外よかった経験が私には多い気がする。

あるとき、人間には「巻き込む側」と「巻き込まれる側」がいると聞いて、妙に納得した。そういえば、私の人生は圧倒的に巻き込まれることで進んできたのではないか。

「おいでよ〜」と半ば強引に誘われた飲み会で夫に出会ったし、夫が「もう指輪も買った!」というので結婚したし、大学の先生が「いい会社だよ」と見つけてくれた会社に就職した。ライターになったのも、師匠に「やってみる?」と言ってもらったからだし、今関わっているプロジェクトも「やろうよ!」と誘ってもらったものばかりなのだ。

最近は「この仕事、好きそうだなと思って」「こういうの得意そうだから」という理由で仕事をいただくことも増えてきた。もちろんドンピシャで私がやりたい!と思う内容もあれば、「え、これ私にできるかな?」と思うものもある。それでも、最近はスケジュールさえ合えば、まずは“巻き込まれて”みることにしている。そういう仕事が私のキャリアを作ってきたし、大事な人たちと出会わせてくれたのを、なんとなく感じているからだ。

こういう動きをするようになったのは、実はここ最近で、これまではずっと「自分で人生を切り開いて、人を巻き込んでいく側がかっこいい!」と思ってきた。自分がいいと思ったものを選びたいし、それ以外はいらないとすら思う時期もあった。もちろん今でも、そういう側面はある。夢や目標を持って、人を巻き込む人は、すごくまぶしい。

けど最近は、なんとなく「巻き込まれてみたい」という気持ちが強い。きっと人生の波があるのだろう。”巻き込まれる人”がいて初めて、人は”巻き込む”ことができるわけで。巻き込み、巻き込まれながら、人は共同体として活動していくのかもしれない。

ふらりと入ったカフェで運命の出会いがあるように、人に誘われた飲み会で一生の友に出会えるように。今は巻き込まれた先の世界で、私がどうなるのか見てみたい。自分ひとりでは出会えない、新しい場所に行ってみたい。

だから、私は積極的に「巻き込まれ」に行くことを選んでみる。イヤイヤ着いていくのではなく、自ら“巻き込まれ”ていく人生も、おもしろそうじゃないか。あんなに興味がなかったのに、4年後のオリンピックを少しだけ楽しみにしている自分が、ここにいる。

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