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『熱源』

『熱源』読んでいるけど、とてもいい。先日文庫化された宮内悠介著『カブールの園』と共通するところがたくさんある。前者は北海道や樺太を舞台にした19世紀末から40年近くをアイヌのヤヨマネクフとサハリンに流刑されたポーランド人のブロニスワフふたりを主軸に描いている。後者は現代アメリカのIT企業に勤める日系三世を主人公にしている。
どちらも祖国、母なる国から離れた場所で生きる、そのためには母国語ではなく今を生きる場所の言語を使い生活するしかない。どちらも言語、教育に関するものが扱われる。言語が大事なのは他者と生きるためのコミュニケーションとしても必要だが、なにより思考するために用いるのが言語だからだ。移民になること、祖国から逃げるしかないこと、奪われる母国語、生きるために必要な言語と思考。
ゼロ年代にアメリカ文学において二世や三世達の移民文学が目立ったことはもちろんアメリカにおける民族の多様化、そして異なる言語と思考の衝突、英語が第一言語として育った二世や三世たちのアイデンティティの問題がアメリカという国のリアルを現していたからだと思う。
もはやロックというカルチャーが瀕死になり、ヒップホップが現在進行形の世界における共通言語みたいなカルチャーであり思考になっている。そこにある言語とリズムからなるものが、このディケイドのスタンダードになるんだろう。
どちらも文春から出てるから宮内さんと川越さんの対談すれば、かなりおもしろい話が聞けそうな気がする。


『熱源』最終章前まで読んだ。渋谷の大盛堂書店の山本さんが僕が好きだろうとオススメしてくれたのもよくわかる。時代小説でもあるけど、要素として現在と呼応している部分が多々ある。
国家、民族、個人、言語、革命、尊厳、戦争、再生、苦悩、差別、暴力、故郷、文明etc.
後編で本州が少し舞台になるが、その際に主人公の一人であるポーランド人民俗学者の通訳として出てくるとある有名な作家がいる。ロシア文学の翻訳を手がけて、自然主義作家に多くの影響を与えた人だが、その名前を見た時に、もうひとりロシアで自然主義で思い浮かんだのは田山花袋だった。彼は日露戦争の時に彼は従軍記者だったし、その後自然主義文学に、その後『蒲団』を発表している。
そう考えると日本の近代文学とか150年ぐらいなもので、もちろん言語一致だって明治以降だしなあ。欧米に追いつけ追い越せで富国強兵して調子に乗って、敗戦国になって経済成長で復活みたいなあとの後進国に成り下がっていく現在の日本のこれからの言語とかってアジア的な物がもっと混ざってくると来ると思うし、GHQがガッツリ日本語禁止して戦後に英語を第一言語にしてたら、少なくとも今も続く村社会的な空気を読むことを無意識に強要されることもだいぶ減って、もっと個人を尊重できる国になってんじゃないかなってこの頃思う。
前々回の直木賞が真藤順丈さんの『宝島』で沖縄を描いていたから、今回これが受賞したら、今作では北海道を描いてることの意味ってすごく現在的だと思う。北方領土は安倍政権が交渉できずに大失敗してるし、沖縄は辺野古移設問題含め米軍問題があるわけだから。そういうものも含んでエンタメとして描いて、読み手に感じさせるってのもすごく大事だし、無意識に現れてくる問題が表現に出てくるってのがやっぱり意味があると思う。


読了。おもしろかったなあ、個人の生き様それぞれの歴史が交差して時代が彩られていく。宮内悠介著『カブールの園』と通じるものもあるし、もちろんアイヌの話でもあるので『ゴールデンカムイ』も引き合いに出されるだろう。でも、僕は幸村誠著『ヴィンランド・サガ』のほうが近しいって感じがした。奪われた故郷、新天地、人の生き死、革命と亡国。
失われていくもの、言葉にしなければ残せないものがあるから、言語が重要な要素になっていく。金田一京介をはじめとする登場人物たちの配置の仕方など絶妙だなあ、二葉亭四迷はいいキャラだけど、金田一に金を借りに来るってだけで名前を出されている石川啄木の存在って。

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