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『僕はイエス様が嫌い』


アップリンクにて奥山大史監督『僕はイエス様が嫌い』を鑑賞。前からタイトルは知っていて、アップリンクで始まったら観に行こうと思っていた。ネットの記事で『ウィーアーリトルゾンビーズ』の長久允監督と奥山大史監督は、中学高校大学が一緒で、どちらとも現在は広告会社に勤務しながら映画を撮っているという共通点があるというのを見た記憶があった。あとカメラマンの奥山由之さんの実弟という話も聞いた。奥山さんは『水道橋博士のメルマ旬報』チームでいうとスタイリストの伊賀大介さんと同じ事務所で、お仕事もしてるし、ポカリのCMとかいろいろされているので皆さんもなにかで見たことがある人が多いと思う。


映画自体は70分ちょっとの尺だったが、少しファンタジー的な要素がある。親の実家に引っ越しをして新しい学校に通いだすとそこがキリスト教の学校でお祈りをするようになる。

主人公の男の子が祈ると手のひらサイズのイエス・キリスト(チャド・マレーンが演じている)が現れて、小さな願いごとを叶えてくれる。主人公には同じクラスにはじめの友達ができる。雪の積もる、白い世界で幼い日々はゆるやかに春の日差しへ向かって進んでいくように思われたのだが、という内容だった。

二箇所、ビックリするシーンがある。前方にいた女性のお客さんはその時々声にはならないが体がかなりビクッと動いていた。
ある人物に起こる出来事と、タイトルを象徴するようなシーンの時だった。


どこかかつての岩井俊二監督がテレビの深夜枠でドラマを作っていた時にあったアウラ、雰囲気に近いものを持っている監督なのかもしれないと思った。たぶん、岩井さんは当時はPVとかそういう仕事をしながらドラマに、そして映画に進出していった映像作家だった。

奥山監督も前述した長久監督も広告業界の人だからか、かつての岩井監督に通じている所があるように思える。それは映画業界という場所とは違う考え方や物事の進め方なんかが反映されているのかもしれない、となんとなく思う。
そして、どちらも少年少女の時代を描きながら、どこかファンタジーと現実が混在している世界を描いているのは偶然ではないのだろう。

複雑化する世界では多層化され、それが重なり合っているのがもはや当然のものとなっている。現実がいくつかの層で時折混ざったり重なったりするのだから、そこにファンタジー的な要素があることは違和感はなく、どちらかというとリアリティを感じられるのが今の世界なんじゃないかなって思ったりする。

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