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親に自閉症だと思われていた(ことに気づいた)話
仕事を休み始めてから、4カ月ほど経つ。胃炎と自律神経の異常、抑うつ状態で、冬の間中はほぼ寝ていた。これまでnoteでさんざん読書記録をつけてきたが、ここ数年で一番本を読まない(読めない)期間になったことは間違いない。
ただここ2週間くらいは少し体調が上向きになってきていて、ぼちぼち読みたい本を手に取るようになってきた。図書館で借りたものは読めずにそのまま返すこともあるが、この本は比較的読みやすくて、目を通すことができた。
発売された去年の秋ごろ話題になっていたのでタイトルは知っていたが、読めずにいた。翻訳を『女の子は本当にピンクが好きなのか』の堀越英美さんがされているということにも興味をそそられ、開いてみた。
そして気づいた。わたしが親から自閉スペクトラム症だと思われていたことに。
そういえば、小さい頃、小学校に入るよりも前、母親に連れられてテストを受けに行った。知らない人の前で遊ぶのが嫌だった。音が漏れないように穴が等間隔に穿たれた部屋で、壁に近づくと吸い込まれそうに感じた。
母が父と夜中に話をしていたことも思い出した。母が自閉症だったらどうしよう、と取り乱して泣いている。わたしは少し前に寝かしつけられたはずの部屋でそれをこっそり聞いている。
飛行機の中で指のささくれを気にしていた時に、母に「自閉症に見えるからやめなさい」と注意され、なぜそれがそんなにダメなことなの? と思ったこともあった。
本の話に戻ろう。
中に描かれていたASDの女の子は、友達づくりがうまくいかず、自分ひとりでいるのが好き。本が好き。レゴブロックが好き。お人形に会話をさせて遊ぶことは好まない。肌のちくちくする感覚が嫌で、着られない服がある。それはまさにわたしだった。
ただ「人の顔色を伺うのが難しい」という、ASDの方が困ることとして筆頭に挙げる特徴は当てはまらないし、幼少期の時に友達があまりいなかったのは、当時同じアパートに住んでいて幼稚園も一緒だったミサキちゃんとサクラちゃんが声が大きくて乱暴で4月生まれなのを自慢していて嫌いだっただけだ。小学校に上がってからは無事友達はできた。
しかし、母からすれば、わたしは十分「自閉的」であったに違いない。母はいつでも人と付き合っていたくて、寂しくて、人と話すために毎日飲み屋に行きたがるような気質の人である。家にたくさん育児関連の本もあったことから推測するに、自分が思う「子ども」ではないわたしを目の前にして、いろいろな本を読んでは不安を募らせていたのだろう。
これらの出来事は就学前のことだけど、こんな時の記憶が今になって出てくるなんて、長らく幼少期のトラウマ治療をしている成果が出たようで嬉しかった。
このことをカウンセラーに話したら、「今こうして大人になってみて、そういうお母さんってどういう人だと思います?」と訊かれた。
自分と子どもが同じ感覚を持っているという幻想を抱いている、お母さん。
子どもが自閉スペクトラム症だったらとても受け入れられないと、子どもが聞いているとも知らずぶちまけてしまう、不安が大きくて自信がない、心の弱いお母さん。
「幼稚な人ですかね」と答えたら、そうですよね、と。「そしてあなたは、子どもの頃にそれにすでに気づいていたのかもしれない」とカウンセラーは言った。
これが今のわたしの生き方に繋がってくるんだけど、それはまた別の話。
本を読むと、表面的な文面の「理解」には留まらない根っこの部分をおもむろに掴まれることがあって、それが楽しくてやめられないんだ、という日記でした。
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