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全く、 最近の若いアニメヲタクは!!!

アニメが大衆に受け入れられて、もはやサブカルチャーとは言えなくなってきた。
それはとても喜ばしいことだ。
3年前くらいの自分はニッチであることが崇高であり、質的に優れた文化だと思い込んでいたが、よく考えてみれば単純に業界の規模が拡大されればその分1作品にかけられるリソースが増えるので面白い作品が作れるはずなのだから、それは我々にとっても喜ばしいことだ。

本当にそれは良いことなのだろうか。
これは主観だが、敢えて平たい言い方をするといわゆる「尖った作品」の数が減少している気がする。

と、言うのもそれはアニメが商業的に期待されていると言うことだ。
もっと噛み砕くと、アニメファンが増え、大衆化されると、市場規模が大きくなる。お客さんの母集団が大きければそれはビジネスチャンスになりうる。
大きな予算をかけることができるのも、大きな利益を期待してのことだ。
もちろん製作もお金を稼げる( = 万人に受ける)作品を企画する。

甘々な考察

そうすると、お金が稼げない( = 万人に受けない)作品はそもそも企画が通らない。
本来アニメーションとは芸術である。監督の思想やメッセージを伝えるための単なる一種の表現技法に過ぎない。芸術はお金が絡むと途端に退屈になる。
そうなってくると

  • 宮崎駿

  • 庵野秀明

  • 大友克洋

  • 押井守

  • 新海誠

くらい監督のネームバリューが高くないと利益度外視な企画は難しい。
あるいは

  • スタジオジブリ

  • スタジオカラー

  • GAINAX

  • TRIGGER

  • 京都アニメーション

のように箱が強い(製作委員会に社名を書けるくらい資本があるまたはそのくらいの実績と信頼がある)制作会社でなければ実験的な作品を作るのは難しくない?

"実験的な作品" と言うワードが出た。
そう、俺が見たいのは実験的前衛的な作品なのかもしれない。
例えば『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)のように機体に乗りたがらないロボットアニメの主人公、例えば『フリクリ』(2001)のようなめちゃくちゃな展開。『化物語』(2009)のように奇抜な映像表現。これらは全て商業的にも成功はしているけど、『悪の華』(2013)や『ピンポン』(2014)だって俺は好きだし。

結論

なんかほとんど根拠もなく、やかましいご老人のようなことを言ってしまった。とにかく、

俺は監督のマスターベーションが観たいの!!!


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