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「ビルマの竪琴」と父と母と「ドラえもん」の話

私の父は、家庭人とは程遠い人だった。平日の帰宅はいつも深夜で、週末は寝ているか、自分の趣味で家を空けることが多い人だった。たまに、一緒に過ごすことがあっても、いつも眉間にしわを寄せてタバコを吸っている父は、近寄りがたい存在だった。

母はとても美しく聡明な人だったが、どうも自分に自信のない人で、そんな父に意見することができなかった。

しかし、父は母を深く愛していたし、母も父を尊敬していた。家族での思い出というものは少ないが、私は二人から愛されているという自信をもって大きくなることができた。

そんな我が家の数少ないお出かけの思い出の一つが、映画館である。



多分私が、小学校2年生くらいの時だったと思う。
日曜日の朝、新聞を見ていた母が急に顔をあげ、

「今日は、みんなで ビルマの竪琴を見に行こう。」

と言った。

みんなとは、父も含めてだ。

父はいつものように眉間にしわを寄せて、多少文句を言ったと思うが、滅多にない母の毅然とした態度に、最後には父も静かに従った。
もちろん私と兄も。

それからみんなで急いで支度をして、駅まで歩いて、電車に乗って、新宿にある映画館に到着した。

そして、映画館に飾られた上映中の大きな広告写真たちを前に、子供たちが子供らしい文句を言い始めた。

「ビルマの竪琴じゃなくて、ドラえもんがいい。」

「ビルマの竪琴」とは、第二次世界大戦中のビルマ(現ミャンマー)を舞台にした駐留日本軍の話で、映画の広告写真は、確か主役の中井貴一(水島役)がお坊さん姿で竪琴を持ち、肩にインコがとまっているというようなものだったと思う。一方、その横にはドラえもんである。

当時小学校高学年になっていた兄も、ドラえもんの方がいいと母に抗議した。それほど、ビルマの竪琴の広告写真は、子供には難解だったのだ。

おそらく映画館に行く道すがら、母が私たちに「ビルマの竪琴」について説明してくれていたと思う。しかし、いくら説明を受けても、少なくとも私には面白そうに思えなかった。そもそも、それまでに火垂るの墓と、はだしのゲンを見させられてきた私は、もう戦争映画は見たくなかった。そこに来てのドラえもんである。これが正義とばかりにドラえもんを主張したわけだ。

しかし、珍しく母が折れなかった。今日は絶対に家族で「ビルマの竪琴」を見るのだという確固とした決意を感じた。それでも、こちらは子供だ。ビルマの竪琴のチケットを買う列に並んでもなお、硬い表情を浮かべた母に向かって愚痴り続けた。

「ドラえもんがいい!」

そこで、なんと父が意見したのだ。普段は、家庭のことには一切口をはさまない父が、ドラえもんにしようと母に言ってくれた。

これで、私たちも母があきらめると思った。

しかし、母はノーといった。その時の衝撃は今でも覚えている。
滅多に父に意見を言わない母が、父に否といったのだ!

すると、父も驚いたのだと思う。困った顔をして、子供たちと母の顔をしばらく見ていた。しかし、まだ納得しない子供たちの文句にしびれを切らし、

「私が、子供たちを連れてドラえもんを見るから、ママはビルマの竪琴を見るといいよ。」

と、普段の父からは考えられない、家族問題を解決しようとする親の一面をみせたのだ。

いつもは温厚な母の頑なさにも驚いたが、日ごろ父親としての存在感が皆無の父が、子供に寄り添った親らしい態度を見せたことにも大変驚かされた。

そんなこんなで、初めて見る父と母の静かな攻防戦は、結局母が一人で「ビルマの竪琴」を見ることで決着し、せっかくの家族のお出かけなのに、二手に分かれての映画鑑賞となったのだった。

上映間際に入ったせいで、最前列しか3つ並んだ席はなかった。
そこに、回りのちびっこの邪魔にならぬよう肩をすくめて座る父と、兄とで並んで、スクリーンを見上げ続けて首が痛くなったことを覚えている。

父と兄と私という、滅多にない組み合わせだったので、なぜかとても緊張した。それは、買ってもらったばかりのスニーカーを始めてはいた時のような、うれしさと居心地の悪さが混在しているような感じだった。なので、ドラえもんの内容は、ほとんど頭に入ってこなかった。

この時のことを思い出すと、今でも胸がキュッとする。
大好きな母を一人にしたうしろめたい気持ちと、珍しく優しい父と一緒に過ごした時間が、甘いけどぎゅっと握りしめたら溶けてしまう綿あめみたいにふわふわしたもので、だから父の機嫌を損ねたくない気もちと、いろんな気持ちが交錯したからだ。

この後、家族そろって映画に行ったことはなかったと思う。兄が、家族より友達という時期に入ったからだ。だから私にとっては貴重な家族の思い出。うしろめたさと、優しい甘さとがごちゃごちゃになって、今でも思い出すとなんか泣きたくなる。永遠に母と父がいつもそばにいると思っていたあの頃に、帰りたくなるからだと思う。



#映画にまつわる思い出

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