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【社会科学】 台湾研究入門

私的書評>

「何でもある宝島」台湾を第一線で研究する地域研究者たちがいる。本書は、台湾という存在に関心を抱いた者すべてに開かれた入門書といえよう。台湾の歴史・政治・社会・文化を理解する上で重要なキーワードをわかりやすく解説している。日台の若手からベテランまで、多様な研究者が参画している点も評価できる。「台湾とは何か」という問いに多角的な視点で当たってみたい人におすすめ。巻末の用語集も必見。


気になる箇所メモ>

Ⅰ 日本植民地統治が台湾社会に与えたインパクト> 3 近代国家による可視化と台湾,台湾原住民(松岡 格)> 8 可視化の影響の複雑性

原住民の姓名について「現在の台湾の法律においては、原住民が自らの文化の命名法にもとづいて身分登録書類に姓名を登記することが認められるようになっている。しかし、それにもかかわらず、原住民の伝統名への回復は盛んに行われている、というのにはほど遠い状況である。なぜかと言えば、一つには漢民族を中心とする主流社会における原住民文化の理解不足、という側面があることも否定できない。しかし同時に、やはり長い間にわたり外来文化の影響を受け続けた結果、原住民社会内部での命名文化の継承が阻害されてきたことにも一つの要因があるだろう。つまり原住民社会内部でも、どのように伝統名をつけてよいかわからない、というケースが出てきているのである。」
政治大学の原住民族研究センターが編纂した『原住民族人名譜』について「この『原住民族人名譜』のもととなったデータが、前出の、日本統治時代に身分登録書類(蕃人戸口簿、戸口調査簿)に記載された、カタカナで記載された原住民の姓名である。(中略)しかし、そのような意図せざる結果が多文化時代の原住民の文化実践を支えうるのであれば、可視化の影響の複雑性というものに目配りをせざるを得ないだろう。

Ⅰ 日本植民地統治が台湾社会に与えたインパクト> 5 在台日本人――日本帝国下の人口移動と文化変容(顔 杏如)> 4 移動者の多様性と植民地経験の差異

「多くの日本人が台湾に移動して生活を営み、人的ネットワークを築いていったことで、植民地台湾には在台日本人社会が成立した。ただし、在台日本人社会は一枚岩ではなく、内部には地域や階層、ジェンダーによる差異が存在した。その中でも、沖縄人は葛藤に満ちた存在である。(後略)」

Ⅰ 日本植民地統治が台湾社会に与えたインパクト> 6 ジェンダー・階層・家族(洪 郁如)> 2 女性文学のなかの家父長制と植民地主義

日本統治期の台湾人女性による日本語の文学作品は、数としてはさほど多くない。それらに共通した特徴の一つは、女性の娘、妻、嫁としての苦悩と新しい生き方の模索をメイン・テーマとしていたことである。辜顏碧霞の小説『ながれ』のほかに、楊千鶴『花咲く季節』、葉陶の短編小説『愛の結晶』、杜潘芳格の『フォルモサ少女の日記』などがもっともよく知られている。(中略)ここで指摘したいのは、家父長制的な「家」から、女性が如何にして自由になるか、この点こそが、まさに当時の新女性たちにとっては痛切な課題であり、目指す地平でもあったということである。」

III 台湾の民主化以降の社会・文化> 2 多文化主義(田上 智宜)> 4 変わる多文化主義の含意

「まず第一に、エスニシティの面からみた台湾社会の人口構成が大きく変化してきたということである。(中略)第二に、族群どうしの境界について、かつてほど固定的なイメージでは語りにくくなってきたということである。(中略)もう一つは、多文化主義という理念が意味する範囲が、エスニシティ以外の要素にも拡大していったということである。ジェンダー、性的マイノリティ、社会階層などの様々な文脈において、マイノリティの包括との関係で多文化主義の概念は使われるようになった。


・P310 図1「ひまわり学生運動」以降の政党政治の構図 はとてもわかりやすい。

よく分からない箇所メモ>

・V 台湾研究序説のために の部分は、かなり専門的な研究のようで、読み解くことが難しかった。P360には、図2「概念図 台湾歴史における縦の入力と横の入力」があるのだが、この図を見ても、大方わかったという感覚はなく、今後またいつかこの章に戻って来られればと考えている。

気づいたことメモ>

・日本時代と呼ばれる、あの時代について
 台湾における日本の植民地期については、これまでもイデオロギーによって様々な表現が使用されてきた。本書の研究者らの表現はというと、スタンスや研究内容によって「日本植民地統治下」「日本統治時代」など様々な表現がなされていて、これもまた興味深い。近年では、台湾研究者の間で、当時の台湾人が「日本時代」と呼んでいたことから「日本時代」という表現を使用する者も増えてきた。「日本時代」を選ぶときは、客観的かつ中立的な立場を意識している者、または中立性が重要な文章などで多いように見受けられる。
 本書には台湾人研究者も、日本人研究者も、若手も、ベテランも、入り混じっている。研究者各自が、自分のスタンスや研究内容、研究の角度によって、あの時代を表現する言葉が多種多様ということは、とてもおもしろいと感じるし、「それでいいのだ。」とバカボンのパパのようなことを思い、何か悟った気持ちにもなる。台湾に住んでいて、多様性とは、ということをいつも考えている。こういう本を読み、日本時代について多種多様な表現が使われていることが気になったとき、「やはり○○時代と統一すべきだ」などと思考するのではなく、「それでいいのだ。」の境地で受け入れられることが多様性を増幅させる思考なのかもしれない。


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