反出生主義(駄文)

前に、反出生主義者ですか?と聞かれたことがある。
私は反出生主義(生殖は非倫理的だという考え方)ではない。
私がよく愚痴っているのは、生殖や生殖行為が社会システムとして組み込まれてるのが気に食わないということだ。
キリスト教もそう。経済活動もそう。人間を歯車や機械のように扱って、それが正しいことだと言ってくる。
宗教も資本主義も一から十まで全て間違ってるとは思わない、だが一から十までその通りなわけでもない。
女は子供を産んで〜〜男女は種族の繁栄を〜〜とそれっぽいことを言ってる奴らの心の中に蠢くおどろおどろしい“社会性”が私は嫌なのだ。
その偽物の“社会性”を否定していると反出生主義者のように見えるのだと思う。

子供は生き物にとってとても大切な存在であるから社会全体で守っていかなきゃいけないのだけど、子供が大切な存在である理由を何故か“社会”が求めるのだ。
“社会にとって有益ならば子供を守るべきだ”という考え方が蔓延してるのだ。
そして、子供という存在と切っても切れないのは女だ。女の身体でなけりゃ子供は育たないし生まれてこない。(女と男の差はまさにここだと思う。)

女と子供に繋がりがある以上、子供についてうんぬんかんぬんほざく“社会”は女にも我が物顔で必要のない屁理屈をほざく。
それが、「子を持つのが女の喜び」「母親は女神だ」「家族に尽くす健気なママ」などというペラッペラの、オブラートみたいに水をひっかけりゃ溶けてく、薄寒い言葉(考え)たちだ。

私は男女が結ばれて子を持ち、家族を守るために男が猟をし、女が子の世話をするという雌雄のある生物としての営みは全く否定しない。

私が否定したいのは、雌雄のある生物の営みを利用しているこの“社会”だ。
システムも経済も宗教も人間より後に出来たものなのに、それらに従わない人間を“社会”は平気で否定する。

理想の女像、子供像、家族像…そういうのをコマーシャルして人の劣等感や不安を煽って…。
嫌いだ。そういう“社会性”が骨の髄から嫌いだ。

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