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日本人の忘れもの

こんにちは、マナピーナです。
厳しい残暑が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
2020年夏、個人的には前代未聞!ビーチに一度も行かないステイホームサマーになってしまいました。
しかし、意外と充実したステイホームサマーを過ごせているように感じます。
自分の中で「歴史を学ぼうキャンペーン」として、歴史系の本を読んだり、映画を観て過ごしています。
そこである映画に出会ったので、熱が冷めないうちに書き留めておこうと思います。

「日本人の忘れもの」

この映画の舞台は、太平洋戦争以前、豊かな日本人移民社会が構築されていたフィリピンと中国。そこで戦後取り残されてしまい親と生き別れ、無国籍状態に置かれている方たち(在留邦人)に密着したドキュメンタリー映画です。彼らを救おうとするNPOや市民たちの活躍も描きながら、国民の保護者である国家(日本政府)はどう動き出すのか!?というメッセージが込められています。

フィリピンの在留邦人

太平洋戦争以前、日本政府がフィリピンのダバオを中心に日本人移民者を積極的に募集します。軍需産業として盛んだったマニラ麻栽培のため、3万人を超える日本人が移り住み、豊かな日本人移民社会が構築されていました。中にはフィリピン人女性と結婚し、家庭を築く人もたくさんいました。現在も多くの日系フィリピン人が住んでいます。
ところが戦争が進むと、フィリピンへの日本軍侵攻が激しくなり、日本人移民社会は国家総動員体制に組み込まれることに。移民2世たちも軍人としてフィリピンと戦わなくてはならない状況になります。「フィリピン人vs日本人移民社会」ですね。昨日まで仲良くしていた住民と今日から殺し合いをするということです…いうまでもなく残酷です。
戦争が終わると、1世たちは日本に強制送還されます。それまでに亡くなった方もたくさんいます。

…2世たちはどうなるのか?

父親と生き別れた母子が残されただけではなく、戦後孤児になった子供も大勢いました。彼らは反日感情が強いフィリピンで生き残らなければなりませんでした。一度敵同士になってしまったものはなかなか元の関係には戻れません。
生きていくために山奥へ隠れ、日本人であることを隠すため、戸籍を燃やし日本名も捨て、フィリピン人として生きる選択を強いられます。生き延びたものの、きちんとした教育を受けることができずに、貧困状態に置かれることに。そうして「無国籍状態とも認識されていない人」が未だ1000人以上いるそうです。

中国の在留邦人

中国の場合、昭和47年の日中国交正常化に伴い、たくさんの方が日本へ帰国しましたが、終戦は昭和20年。少なくとも30年近く中国で生活していたことになります。戦後孤児はもう立派な大人になっています。そんな方がいきなり日本で生活していかなければならない状況に。帰国後も戦いは続きます。帰国後のサポートは乏しく、引きこもりがちになってしまう方がいたり、問題は山積み。未だに日本語が話せない方もたくさんいらっしゃいます。

しかしそんな中で、現在、中国語対応の老人ホームがあることにとても感動しました。最近、私のおじいちゃんが老人ホームへ移ったこともあり、私のおじいちゃんと重ねてしまい涙が止まりませんでした。楽しそうに中国語で職員さんと話しているおじいちゃんおばあちゃん達を映画で観ることができてよかったです。みなさん、口を揃えて「今は幸せです」と答えていました。

フィリピンの親日感情

現在、フィリピンに行くと、フィリピン人は日本人に対してとても優しく、もういいよ!というくらい話しかけてくれます(笑)私がフィリピンに初めて行った時、「フィリピン人は日本人のことを好いていてくれて嬉しい、親日なんやなぁ」と思いました。
しかし、75年前は日本人であることを隠さないと生きていけなかったくらい反日感情が高かった、というギャップ。当時を知らない20代の私からすると考えられません。
フィリピン人が日本人を好いてくれるようになった要因の一つは、日本のODA援助です。これについてもたくさん問題はありますが、インフラが整った部分があるのも事実で、便利な道路や橋がたくさんできました。日本人が助けてくれなかったらこの道ができなかった!と感謝してくれている人が多く、親日な方が増えたのでしょうか。

新しい海外旅行の在り方

戦時中、日本人がしたことは到底許されることではありませんし、現在もフィリピンでは反日感情を持っている方はたくさんいらっしゃると思います。
マニアックなところかもしれませんが、フィリピンに行く際には、このような事実を知っておくことはとても大切だと思います。

フィリピンに行き始めて7年目、これまで10回以上フィリピンに訪れている私ですが、ODA援助について知ったのも3年前、在留邦人について知ったのはつい数ヶ月前です。
長期滞在したことがあるのに知らなかったんです。
知らなかった自分にとても驚いているし、そんな自分がフィリピン好きを公言していたことが恥ずかしいです。もっとこの事実が広がることを願い、綴っています。

海外旅行に行くだけならここまで深掘りした情報は知らなくても良いのかもしれません。しかし渡航国と昔の日本との関わりを知った上で旅行に行くと、また新たな視点から旅行を楽しめるのではないでしょうか。

この映画と出会ったことで、新たな海外旅行の在り方についても考えさせられて、良い機会を与えてくれました。

最後に、在留邦人の方の高齢化が進み、この問題が解決する前に、問題が消滅する危機に直面しています。一刻も早く、まずは無国籍であることが証明され、日本国籍が取れることをお祈りします。祈ることしかできず、まずできることの「綴る」ことをさせていただきました。

そして私は、国籍なんて関係なくボーダレスに世界中の人と関わることができる時代に生まれたことにとても感謝しています。もっとボーダレスな世の中になりますように!



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