無国籍の子どもたち

今日の学び


なぜ無国籍になるのか
カンボジアとベトナムの国境に水上生活している、ベトナム系住民がいる。
カンボジアのベトナム系住民は、17世紀以降カンボジアに定住し始め、ポルポト政権下で国外追放か虐殺されたが、崩壊後に帰還してきた。
現在では国民の5%を占めている。

カンボジアでは7年以上居住し、クメール語の読み書きなどができれば、外国人の帰化が許されているが、ポルポト政権下で帰還した人たちは、ポスト・ポルポトの混乱期に帰還したため公的な書類を持っていないことから、無国籍になっており、ベトナムに帰ることもできない。
さらに、その子どもたちも無国籍とされる。

無国籍になるとどうなるのか
公的なものは何も与えられない。
公教育が受けられない。
医療のアクセスもできない。
福祉も受けられない。
もちろん、選挙権などの権利もない。

「全ての子どもに教育を受ける権利を!」って子どもの権利条約とかSDGs目標4でも書いてあるけど、無国籍児童は「いない」存在として統計が取られる。

無国籍の子どもたちと教育
公教育は受けられないから、自分たちで教育の場を作って提供をしている。
授業で紹介された某学校はベトナムの教会から資金援助されて、ベトナムの言語・文化を学んでいる。学校内で卒業式なども行なっている。

葛藤①
一定の学力が身について、「卒業資格」を得ても非正規のため、就職できない。(+差別されているため、そもそも就職困難)

葛藤②
結局クメール語は学んでいないため、コミュニケーションが取れない。

(葛藤③)
この学校のケースで言うと、キリスト教のファンドで成り立っているため、キリスト教的価値観も潜在的に植え付けられているが、カンボジア人のほとんどは仏教徒。

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自分の中での不明点

・なんで、ベトナム語しか教えないのか。
・そもそもなんで、ポスト・ポルポトの混乱期に帰還したのか。

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個人的見解

昔見た、ターミナルっていう映画を思い出す。
当時はフィクションとして、無国籍について深掘りできていなかったのが、今となっては悔しい。

今思い出してみれば学部時代の講義で、「どう自分という存在を証明するか」って問われていたことも思い出した。公的書類が何も使えない状況で、どうやって自分の国籍・性別・誕生日・名前・家族関係を証明させるのか。当時「いやー、それはむずいぞ。。」って思っていて、今もそれは変わらず。むしろ、自分たるものを証明されてこそ、「私」という存在が確立しているのであって、それがないと、そもそも自分って何者だ?ってなると思う。

自分が社会的に「いない」存在になるって。

久しぶりに、世の不条理さにメラメラしたし、ほんと、こんなとこで止まってたらあかんって焦らされた。はやく、はやく!現場に行って、どうにかしたい!いや、知ってしまった以上、どうにかしないといけない!!

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