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人生をラクに生きるための極意


「生きがい」という言葉が英語圏やフランス語圏で、とても話題になっていることをあなたはご存知ですか?

私は10年くらい前からフランスと縁があり、今は夫と娘と共にパリ近郊で暮らしています。

仲良しのパパ友に「生きがいが今すごく流行りなんだよ。何か生きがいに関する活動をしてみたらどう?」と言われ、今ではフランス人に「生きがい」を見つけてもらうためのセッションを行っています。

ところで、「生きがい」という言葉を誰でも知っている日本人の中でも、実際に「生きがいのある人生」を送っている人は少ないですよね。特に若い方は、まだ自分にとって大切なものが、何か分からない方も多いかもしれません。

どうして自分の生きがいを知ることが、そんなに難しいのでしょうか?

それは、子どもから大人へと成長する過程で、社会でたくさんのことを学ぶからなんです。

ラクにならない理由

私達は親や社会から教育を受けながら成長していきます。その教育の中で、社会にとって価値の高いことを優先的に学んでいきます。

社会にとって都合がいい思考パターンや行動パターンを何度も反復学習するため、そのパターンが脳に定着し(神経反応が定着し)、大人になっても、同じパターンのまま生きてしまう、ということが、多くの人の人生で起こっているのです。

社会にとっての価値基準が、まるで自分の価値基準でもあるかのように思い込んでしまうと、様々な弊害が出てきます。

「コレが自分の道だ!」と思っていた道を歩いていたのに「何か満たされない」「しんどい」「もっと自分には他に何かあるんじゃないか?」と、一つのことを試しては止めて、別の事を試してしまう。

そんなエンドレスなサイクルにも陥りやすくなります。


社会的に価値が高いことの例として、こんな5項目があります。あなたは、これらについて、良いことだと思いますか?

1. 学校での成績が良いこと
2. 友人の間での評判が良いこと
3. 高い収入が得られる、社会的に良いイメージの仕事を持つこと
4. 家庭を持つこと
5. マイホームを持つこと

これらは、すべて世間で良いイメージがあるものです。では、これらが個人の人生にどう影響するのか、見てみましょう。

1. 子供時代に学校の成績が良かった人は、大人になっても高い自己評価を持っている人が多い。自分は他人より「優れている」という感覚を持っている人が多い。反対に、学校での成績が良くなかった人は「自分は社会的に価値が低い・・・」という思考に陥りやすい傾向がある。

2. 本当は、それほど欲しいと思っているわけでもないけれど「持つと周囲から良く見られる」或いは「友人の間で評判になっている」という理由で、人は買い物をすることがある。

3. 自分の職業が社会的に良いイメージでない場合、自分がしている仕事について、あまり人に話したくない。
 
4. 特別、結婚に興味がなくても、一定の年齢に達すると「結婚」について考え始める。或いは、一定の年齢を過ぎた独身者にとって、結婚に関する話題はプレッシャーになりやすい。

5. 賃貸住宅での生活で特に困ったことがなくても「何歳くらいでマイホームを手に入れるのがいいのか?」と、人生の中で1度は考えることがある。

このように個人の価値基準に関わらず、社会的に価値が高いとされていることについて、 私たちは考えずにいられないのです。

どうしてなのでしょうか?

ラクになろうとして失敗した人類の進化

私たち人間は、野生動物に比べると身体的には、それほど強くありません。クマと1対1で、素手で闘って勝てる人間はいないでしょう。

でも、集団で協力し合いながら生きることによって、人類は野生動物にはない生存率を可能にしました。

私達は社会動物であり、それがとても大切な「人間としての生き残り戦略」となっています。そのため、人間である以上は、社会からの影響を全く受けない、ということは難しいのです。


でも、いつもいつも自分よりも社会の価値基準を優先して生きていたら、いずれは自分を見失い、 人生に迷ってしまうことになります

そんなときに私たちは、ふと「自分の生きがいとは何か?」そんなことを考え始めるのかもしれません。


最近、お金や仕事に関する投稿で、ビジネスを成功させたいと思うなら「ラクしたい、という気持ちを持ってはいけない」という内容に出会いました。

おっしゃることはごもっともですよね。
こういったことは学校でも社会でも、たくさん言われ続けてきたように思います。

「成功したいと思うなら、人よりも努力をしなければいけない」
「ラクして甘い思いばかりしていたら、いずれは痛い目に合う」


でも実は、私は少し違った考えを持っています。
「人生は頑張らなくていい」
(むしろ頑張らない方がいい)
「本当にやりたいことは、頑張らなくてもできる」
これが私の考えです。


人によっては、こんなことを聞くだけでイライラしてしまうこともあるかもしれません。

「そんなのは恵まれた人だけが言うセリフだ」とか「こんなことを言う人がいるから世の中が変になるんだ」とか、そんな批判も聞こえてきそうです。


でも、人間という性質上「本当にやりたいこと」というのは、頑張らなくても自然と足が前に進むようになっています。

「頑張らなければできないこと」というのは、どこかで自分の本質に嘘をついている可能性が高いのです。


「本当の自分に正直に生きる」
「自分の本質を追い求める」


「生きがい」とは、正にこのことです。


もっと、別の表現をするならば、
「自分にとって、最も大切なことを大切にする人生」

言葉にすると、とてもシンプルですが、このことを実践するのは、現代社会ではとても難しくなっています。

何故「本質的な自分」を大切にできないのか?

この点について、もう少し説明してみましょう。

私たちは学校教育の中で集団行動を学びます。「個人個人が好き勝手に自分のやりたいことをしていては集団行動は成り立たない」という学びです。

この学びは学校教育ではとても重要視されています。それは日本に限ったことではありません。多少バージョンが違いますが、私が今住んでいるフランスでも似たような現象があります。

この教育によって、私たちは
「本当に自分のやりたいことをしたら・・・」
「自分の心の本心に耳を傾けて生きていたら・・・」
社会から弾かれる、
という恐れを潜在的に抱くようになっていきます。

少し前でも説明したように「社会から弾かれる」ということは、人間の潜在意識にとっては「生存できなくなる可能性」に直結します。

だから、無意識にブレーキがかかるのです。

この記事を、お読みのあなたには、とても大切なことを1つだけ、知って頂きたいと思います。

それは、私たち、一人ひとりが心の奥底から大切にしたいことは、
絶対に「社会の利益に反しない」ということです。

人の心と体の構造は、最終的には、社会全体が良くなるような成長を遂げるシステムになっています。これはトランスパーソナル心理学で提唱されていることです。

このことを提唱した心理学者は、自分の患者たちの自己成長を観察する中で、こういった共通の特徴に気づくことになりました。そして、私もセッションを重ねていく中で、このことを直に体験しています。

「頑張る」ということの裏側には、部分的な「抑圧」や「犠牲」が必ず隠れています。

自分を抑圧せず、何も犠牲にすることなく、本来の自分の価値に目覚めて、人々がのびのびと生きていく世界。

そんな世界にいる自分を想像すると、私はとても居心地がよくなります。


あなたにとって「究極的に大切なこと」
「それがなければ生きている意味がない」とあなたに言わしめるものは、どんなことでしょうか?

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