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「死にたい」と思った私は「うつ病」ではなかった。

人生はすべて上手くいっていた。はずだった。

突然「死にたい」と強く思った。

私の中で何かが崩れていく音がした。



「死」というワードを使っていますので、読んでいて辛いと感じる方はどうか無理なさらずに。


私は毎日平凡かつ幸せに暮らしていた。

家族や友達、恋人にも恵まれていて、小学校の教師になるという10歳の頃からの夢を追いかけていた。


それは突然だった。


少し落ち込むようなことがあった帰り道、突然過呼吸になった。別にそんなに落ち込むようなことでもなく、自分でも訳が分からなかった。頭と身体がちぐはぐになった感覚だった。

なぜか分からないけれどとてつもない不安感に襲われ、本当に混乱した。


ナニカガオカシイ


そう感じた私はなぜかすぐ「心の病気」を疑った。自分には関係ないだろうと日々思っていたのにも関わらず。



いや、もしかしたらこうなることが運命だと感づいていたのかもしれない。なぜなら父が精神科に通っているからだ。


父は休職を何度も繰り返している。


やけに休みが多くて、その割には土日でもずっと寝ていて。


多分、「うつ病」なんだろうな。と思ってはいたけれどそれを直接本人に聞くのはタブーな気がしていた。


結構長い間仕事に行けていなくて、減給もされ、私からしたら「よくクビにならないな」とも思っていた。大学生になった私は、授業料を払えなくなったらどうしよう、という心配もしていた。


そういった背景もあってか、私は早く自立したかった。


週5で部活していたのに、気づけば最大で5個アルバイトやボランティアをかけ持ちし、週5はバイト。休みの日はバイトのはしご。スケジュールはびっしり埋まっている。月に半日休みがあればいいくらい。それなのにお金は貯まる気配がない。日々焦燥感の中過ごしていた。


そう、今思えばあの生活は「異常」だった。


そして壊れた


何もかも


私は泣きながらスマホで


「うつ病」と調べていた。


でも、うつ病ではないとも思っていた。だって、さっきまで元気に遊んでいたのだから。

毎日アルバイトにも学校にも行けていて充実しているのだから。


ふと、「躁鬱」というワードが目に止まった。


クリックすると、目から鱗だった。


まさに、私のことが書いてあった。



それまで知ろうとしなかった世界だった。そのとき初めて「躁鬱」という言葉があることも、今では双極性障害や双極症と呼ばれていることも知った。



辛いのに、苦しいのに何故か救われた。


明日からバイト漬けを止めれると思った。



次の日、私は父の通う精神科に電話し、その次の日「双極性障害」という診断を受けた。


1つの地獄が終わった、でもそこからが更なる地獄だった。


まず、電車に乗れなくなった。乗ると目の前が真っ白になり血の気が引いていく。とてつもない不安感というかこのまま死ぬのではないかという恐怖が襲ってくる。


授業もまともに受けられない。教授が何を話しているのか分からない。ずっと不安感があり、ソワソワしてしまう。


このままでは危ないと大学のカウンセラーのところに行ってみた。


このときはまだ「死にたい」と思っていなかった。だから大丈夫ですと大丈夫じゃないのに言い張っていた。


しかし、それからもどんどん自分が壊れていった。


バイト先や友達、大学の先生などに病気を打ち明けていく。そのひとつひとつに魂が削られた。


突然別人になった私の理解は追いつくはずもなく、それは家族が1番理解出来なかったのだと思う。


そんな家族の態度にもショックを受けた私は家に帰りたくなくなる。


夜中までふらふらとして、そう、ここら辺から「死にたい」と思うようになっていた。


高いところを見るとそこから落ちる像が見え、川があると飛び込みたくなる。もう訳が分からなかった。


大学にも行けなくなっていき、毎日廃人のように過ごしていた。


ベッドから動けずに、ただ「死にたい」とひたすら願う日々。


薬が効いているのか効いていないのかも分からない。



「躁鬱」だから「躁」もある。


初期のnoteを開くとそれが痛いほど伝わってくる。


躁も鬱もしんどすぎて「死んだ方が楽」とばかり考えていた。


これが丁度4年前に起きた出来事である。


病気の避難場所としてnoteにたどり着いた私は、今は珈琲やフィルムなど好きなことで生きられている。


しかし、今でも波はあるし、去年は入院までしたし、寛解とはまだまだ遠い道のりだ。


自分を繋ぎ止める場所としてのnote、という役割はまだ続いていて、日々の葛藤も苦しみも全部表現している。


4年たって読者の方も増えてnoteを開くのが好きなままで居られることは本当に幸せなことだ。


こうやってどん底の経験を書けたのは新たな1歩かもしれない。


最後にひとつ。


今、苦しい人へ。

その苦しみから目を背けずに全部のドロドロを吐き出してみて下さい。誰にもみられない、紙のノートなんかに。


自分を救えるのは自分だけ。


これが私が4年病気と闘ってたどり着いた答えです。


寒くなってきました。皆様あたたかくしてお過ごしください。












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