分かり合えない躁鬱人④
こんばんは。まなみんです。
前回の診察で、アルバイトキツイですって言ったら「まあ、騙し騙し頑張るしかないね」と言われました泣
あと、手帳取得に向けて診断書書いてもらうことにしました。
という話は置いといて。
今回も前回と同じように進めていきますね。
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昨日言ってたことと、今日思っていることが全く違うということも多々あるので、一貫性があるのが普通の人間であると当然のように思われているこの世界でやっていくのがしんどいです。
共感。昨日、あれしたいこれしたい!と言っていたのに、寝て起きたら全く違うことを考えてしまう。なんなんですかね。この現象は。
何かをパッと思いついて、それをそのまま口にすると、確かに体は楽で楽しいのですが、周りの人はそんな僕が毎日毎日コロコロ考え方が変わると知っていたとしても、さすがに昨日言ったことが、今日はすっかりやる気をなくしているほどひどくはないだろうと思ってますので、びっくりされます。
私なんか、びっくりを通り越して呆れられます。
最初から、「どうせ気が変わるんでしょ」と思われながら話を聞かれます。
と、私は感じてます。
医師はまず毎日服薬をすること。そして疲れすぎないようにすること。そしてちゃんと寝ること。言っていたのはこの3点でした。それが守られてて、一応仕事ができていて、生活が破綻していなければ、あとはまあいいでしょうというスタンスでした。それはそうなんですけど、僕としてはもう少し心が楽になるようなことを知りたいと思っていた。でも医師としては自殺をどうにか避けたいと思っていて、それ以外は多少鬱でも仕方ない、躁状態になって暴れるよりはましかもという感じだったと思います。でもそれじゃ物足りない、というか「窮屈だな」と感じてました。
私は今この段階ですね。
この「窮屈」だと感じるってことがのちに重要だと気づくのですが、まだその時はよくわかってません。躁鬱病は病気というよりも体質なので、波の強さを抑えることはできても、基本的には生涯治らない、つまり、服薬も生涯続ける、その中で自分なりのやりやすい生き方を見つけていくしかない、というようなどちらかというと消極的な姿勢で臨む、というやり方が医師の考え方でした。それはそれで一つの方法ですし、効果があるから、医師もやっているんだと思います。
私も皆さんもきっとこんな感じだろうと思います。
でも、何かが足りない。躁状態の時に感じた万能感が、体に染み付いているので、もっと楽しくやりたい、もっと可能性を広げていけるような方法がないものか、とつい考えてしまいます。
でも、疲れてしまったあとは、ちゃんと上がった分だけ下がります。
浪費するのは一瞬でも貯蓄するのは長く時間がかかるように、躁状態は一瞬ですが、体力を充電していくための鬱状態は長くかかるし、そもそも体感時間が長くなるので、もう一生ここから抜け出せないんじゃないかと思ってしまいます。だから、躁状態に任せて、楽しく生きがいしか感じない生活を目指すのもどうも違うような気がしていました。
躁鬱人が必ず感じるであろう、この矛盾。
いったいどうすれば心も体も満足してくれるのか……。
どうにかしたいと思って、躁鬱病に関する本を、いくつか読んでみたのですが、どれも同じことが書いてあるんですよね。
医師が言っていたこととほとんど変わりません。
多分、ですが、躁鬱病ではない人が書いているんですよね。
だから症状は色々書いてありますが、どうしてそうなるのか、そういう時にどうすればいいのかということを経験を踏まえて書いてある本というのがほとんどなかったんです。どれも確かに僕に当てはまる症状ではある。でもそんなことはわかってる。
え、私なんか躁鬱病についての本が読みたくても、本屋さんで探しても見つからない、って感じですよ。でも、読んでもあまり意味がないのかもしれませんね。
どうしたらいいのかは、みんなわからない。毎日服薬すればいいということはわかっているから、そう書いてあるが、どの薬が合うかも人によって違うので、参考になるのは、毎日何かの薬を服薬すればいいということだけ。
どの薬がいいのかを見つけるにはどうしたらいいのか、ということはわからない。
医師の勘に頼るしかない。
しかし、それではどうにもやりきれない。睡眠時間をちゃんととる、毎日服薬する、動きすぎない、どれも指図ばかりで、やらなくちゃいけないことばかりで、余計に窮屈になる、方法がわからずに、また途方にくれる。
ああもう、それはそれは窮屈ですよ。
遊んでても、「あまりハメを外しちゃいけないな」と思ってしまうし…。
無限ループですね。
そんな途方に暮れていたとき、僕は神田橋條治さんという精神科医のことを知りました。
神田橋さんが躁鬱病について独自の知見を持っていると知り、調べていると『神田橋語録』という神田橋さんが躁鬱病について口述したものを聞き書きしたPDFをインターネット上で見つけました。
それを読んだとき、今までの躁鬱病に関する文章を読んでいたときとは違う構造というのか、視点というのか、とにかく僕は力が抜けたんです。
私も即これを見て『神田橋語録』を読みました。
「力が抜ける。」本当にその通りで、こころが軽くなりました。
その語録の中には、〜をしてはいけない、みたいなことが一切書かれていないんです。むしろ、そのような禁止をすることで「窮屈になるのがいけない」と書かれていました。そこで「窮屈」という言葉に出会ったんだと思います。とても納得がいく文章で、頭でわかるというか、体が楽になる、力が抜ける、窮屈ではなくなる、のびのびしてきました。
私は小学校の先生を目指していました。授業で、「障害を持つ児童のことを他の児童にどう説明するか」という課題がありました。
模範では、「この子は~が苦手だから~してはいけないよ」
というものでしたが、私は「~してはいけない」と伝えると距離を感じてしまうのではないか。できることに目を向けて、「~してほしい」と伝えたほうが良い。と考えました。
自分が無意識に窮屈さから逃れたいと、感情移入して考え付いたことなのではないかと今では思います。
これから躁鬱大学をはじめるのですが、大学と僕が勝手に名付けたんですが、つまり、躁鬱病の人が生きていくためには、他の人とはちょっと違う技術が必要なんです。
逆に、他の人と同じようにするために、いろんな規制をかけて、行動を制限していくと、さらに毎日合っている薬を服薬することで一見、普通の人のように日常生活を送ることができるかもしれませんが、体の中、心の中では窮屈さがぬぐいきれません。
だから制限をかけるのではなく、ちゃんと技術を覚えて、それをうまく駆使することができれば、躁鬱病という体質を持っている人も、健やかに生きていくことができるのではないかと僕は考えてます。
はい。ここ重要。必ずと言っていいほど毎日服薬している私たちが考えること。
「薬なんか飲まずに生き生きと過ごしたい!」
そんな世界が実現出来たらうれしいじゃないですか。ラッキーじゃありませんか。
その望みをかなえて下さる、のではないかと感じ、私は躁鬱大学に入学したのです。
というわけで、まずは躁鬱大学の主要テキストである『神田橋語録』を皆さんプリントアウトしてもらって、それからはじめましょう! 躁鬱大学のはじまりはじまり!
プリントアウト、面倒くさいならしなくていいですよ。
ぶっちゃけ、テキストはあまり使いません。
でも、ぜひ一読してみて下さい。救われますから。
☆
はい。やっと皆さんを躁鬱大学に入学させることができました。
ああー、長い道のりだ…。まあ、気楽に更新していきます。
.......この場をお借りして。
私は双極性障害を研究したいと考えています。
だからたくさんの躁鬱人と繋がりたい。
そして、サークルを立ち上げました。
今現在、加入者が一人なのであまり活動ができずにいます。
その方にも申し訳ないし、もっと気軽にみなさんとお話ししたい。
本当は無料で招待したいところですが、お金を払って下さる方と平等にしたいので申し訳ありませんが100円お支払い下さい。その代わりにサポートなどでお返ししようと思っています。
質問などあればコメント下さい。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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