自主ライブの振り返りとこれから。
こんにちは、ひしぬま まなみです👋
6月1日です。
振り返り方は様々ですね。
2024年上半期最後の月に向けて…
とか
夏の始りに向けて…
とか
皆さんはどんな思いでいますか?
私は4/27に広尾トモキョンズという素敵なスペースで行った
自主ライブの振り返りから、
今後について綴ってみたいと思います。
4/27の振り返りにだいぶ時差があることが私の課題でもあるのですが…
ここはまた追々。オイオイッ👋🙄
さて、
今回の自主ライブは実に5.6年振りかな?でした。
ライブに誘っていただいてり、ちょこちょこ歌う機会なんかはいただいていたのですが、
こういった自主的な、自分の色が強めに出る機会は本当に久しぶりでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1717203096646-1LpDYKevB6.jpg?width=800)
今回に至るまでは、
やりたいなという気持ちと
どこからかくるやらなきゃ
という気持ちが募っていました。
やらなきゃって不思議ですよね。
誰にせき立てられてるわけでもなく、やらなきゃいけなくも無いんです。
よーく見ていってみると、
自分が一番このやらなきゃの意味を知っているのですがね☺️
ライブタイトルは命の音。
![](https://assets.st-note.com/img/1717203387430-Ri0eZsJtLI.jpg?width=800)
振り返りとしては、
なんて自分よがりなライブだったのだろうとい言葉がピッタリ。
構想から、声かけから、当日始まりから終わりまで。
内容はまたnoteに記しておきます。おかなきゃ。
で、です。
ここからどうしていきたいかというのは見えてきました。
ステージの面白さって、
〝みられる〟
ってことだと思うんです。
環境的に状況的にみられる場に自分を置くことに
どんな意味づけをするかって凄く私の中では大切で、
みて!(特にお金が発生すると)といった以上そこで生きなきゃ行けないのですが、
みてほしいものが何かってことを持ってないと、
立ってられない。
技術でももちろん良いのですが、
技術そのものは、多分ですが立っている理由(軸)にするには結構脆い。
かといって技術がないとそもそも立てない。骨なのか筋肉なのか…。
その立っているためのものを、んー..
マートルとしましょう。
マートルは木です♪日本名では銀梅花:ギンバイカ(マートル)の基本情報
学名:Myrtus communis
和名:ギンバイカ(銀梅花)
その他の名前:マートル、イワイノキ
科名 / 属名:フトモモ科 / ギンバイカ属
マートルは誰でも持っているのですが、育てる必要があります。
そしてその育て方は、自分や相手や人で、または内側からや外側からの刺激で、
他にももっともっと色んな方法で。
マートルが育てば育つほど、
自分がしっかりと地に足をつけて立てます。
立たなきゃいけない場所で。たちたい場所で。
例えばステージでは、
お金の発生の有無に関わらず、
みる、みられる、の関係性がはっきりしているわけです。
これはとても重要なこと。
そして、見ている人はその人のみたいものを見る
見られている人が何を見せるかはその人次第
これも面白くて重要なこと。
![](https://assets.st-note.com/img/1717207859241-DXzcGF7hzY.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1717207903898-b1sMSiXiYl.jpg?width=800)
普段生活を送っていると、
自分の事を、相手の事を、フラットにみる機会って少ないと思うんです。
何かしらの干渉が入ります。(その人に関係なくても。状況や環境によって)
それは凄くもったいなくて、
自分のみる世界でしか相手を認識できないんですね。自分自身のことも。
すると、ずっとそのイマしかしらない。
幸せな人はいいと思います、飽きなければ(笑)
でも、何かウズウズしていたり、憧れてたり、嫌なことがありすぎたり(ちょっとは誰にもあります)、そんな状態が変わらないのは
そんなイマしか知らないのは、どうかな?と質問し続けているわけなんです。
ナマモノ(特に感情や有限な肉体、五感や時空といった化学ではまだまだ不思議なもの。)
を一定の受け取り方しか知らないのは、どうかな?と。
ステージで見る場合、見せる場合、も確かに干渉は入ります。
なので、これは場の枠組みやコンセプトに依存しやすいので
それを選んだり、作ったりするところから見せる側は見せてるわけで、
そこに行ったり、探したりしている段階から見る側は見ているのですが。
※そのフィルターを全てオフにするのも面白い。
さて、みる、みられる、の関係性が前提にあることを話した上で、
見られる側がステージにっている為に必要なマートル。
かといって、
ステージの間中、好きな仕事の間中、生きている間中、
ずっとマートルが見えていること(主観としては実感的に触れていること)は不可能なんじゃないかなと思います。
けれども、ステージでみている人が何かを受け取る瞬間というのは
必ずマートルがみえているときです。
ステージで立っていられてる時は必ずマートルが自分の心身中に影響を及ぼしているときです。
これは、みる、みられる、の関係性がはっきりしているとき程難しいと思っています。
自分は、見せたいし、相手にいいものを渡したい。
相手は、みかたを選ばなきゃいけないし、自分以外のために体力を使う。
けれども、もしも、
目指す未来があるとするならば、
過酷な状況ほどマートルが育ち、それが育つことは決して悪いことではなくむしろ良いのでは。と思う。(比率的にね)
育った先には、それを生かせる人が(自分が)活かすし、
何より、その表に現れたものは、
人だけじゃなく、場所や事やものや、時間や空間や、受け継がれるそれらや、
あらゆるものにちょっとした影響を与えるのではないか。
それは香りという提案なのかもしれないし、
花粉という可能性なのかもしれないし、
果実という栄養なのかもしれないし、
枝や葉といった在り方なのかもしれない。
もしかしたら、種子や根といった命の土台を分け与えるかもしれないですね^^
水も栄養も大地を伝って循環させ植物が生きるように
私たちの中にあるそれも、溜め込み握りしめることをやめ
流し渡してみることが出来ます。
減りません、なくなって死ぬこともありません。
ステージに立つ。
そのことは疑似体験であり、イマが一番わかりやすい
挑戦し続けられる場所であり機会。
ここで沢山挑戦していこう!そう歩み続け、
そんな私と一緒に挑戦していきたいと思う人と色んなイマを共にし…
…いつか、全く知らない人が、
マートルのドアをたたいて自分の中の光を信じれる一歩になる
そんな機会の一つになれたらいいな!
そんな事を思います。
みなさんも良き6月をお過ごしください✨
2024/6/1 今日の天気は晴れ
![](https://assets.st-note.com/img/1717207675617-DzWOmfUXgL.jpg?width=800)
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