大切な人に愛と時間を捧ぐ方がよっぽど幸せ。
全員に平等の愛と時間<大切な人に多くの愛と時間を
今日授業で出会った日本人の留学生と話してて、昔と比べて(シェフィールドに来てからさらに?)自分では変えられない事実や他人の気持ちについてぐじぐじ考えず切り替えが早くなったと思う。
というのも、彼女は海外の大学に学部留学しているのだが、語学留学している人たちに同じ"留学している"人として見られることに悔しく感じると言う話をシェアしてくれた。
私は交換留学なので全く同じ気持ちを得てはいないのだろうが、それでも毎週課されるReadingの山、セミナーでの話し合い、決して簡単ではない試験は大変だ。それを3,4年ずっとやっていると思うと、学部留学をしている人たちの中には、苦労して留学をしていることがよく分かるし、尊敬する。だから、その努力をしたことがない人たちと同じ"留学"という言葉だけでラベリングして欲しくないという彼女の気持ちもわかった気がした。
その一方で、彼女の話を聞いて思ったのは同じように"留学"するだけの理由で仲間感を出してくる人たちに、イライラだとかそういう感情によって気力を使うのも勿体ない、むしろ勝手に言っちゃれ、努力しているからこそ知ることができることがあるんだよ〜て思えばいいんじゃない。と思った。
その考えに対する彼女の返答が、
切り替えが早いんだね、確かにグジグジ考えている自分が馬鹿らしく聞こえてきた。
だった。
昔の自分は、" みんなから愛されたい"という気持ちが無意識にいつもあって人からどう思われているのかを気にしたり、私の周りに全ての人に気に入られそうなことをしたりしていた。
だから、ひどい時は”あ、さっきの言葉であの子に不快な気持ちにさせちゃったかも”と思うだけで何時間も心患いになっていた。
そんな私からしたら、私こそがグジグジする代表格の一人である。
ただ歳を重ねれば重ねるほど、”みんなから愛される、ということはない"ことと同時に"誰も自分がやっていることなど気にしていない"ことを学んでこの性格が変わったのだと思う。
正直気づきたくなかった現実ではあるものの、この気づきが自分の中で勝手に存在すると思っていた鎖を解き放ってくれた気がする。
まず友達が少ないことに悩むのを辞めた。というよりも自分が心から胸を張って親友だと言える友達が5人もいる自分ってよっぽど恵まれていると思うのだ。その5人をはじめとした、大切に想う友達と会ったり、話したり、手紙を書く時間を多く取るようになった。
それから、絶対うまくできる自信がないけれどやってみたかったダンスを始めた。私がダンスをやるような人ではないと知っている人からは驚かれたが、それでも私のことを少しでも気にかけてくれる人たちは応援してくれた。もし大学からダンスなんてよく始めたね〜なんて馬鹿にするような人がいたとしたら(幸いなことに私の周りにはいなかったけれど)その人は私を大切にしたいと思ってくれた人ではないし、私が大切にしたい人ではなかったというだけである。
同時に始めたはいいものの、その空間でダンスする誰よりも下手くそであるという辛い現実に立ち向かっていた。みんなが当たり前にできることができないので、毎分毎秒恥ずかしいという感情に襲われていた。それでもその空間にいる人は、下手くそであった自分を経験している人たちであると同時に他人が下手くそであっても気になんかしていないことも感じた。
自分のことを最後まで大切にできるのは自分。
そして、大切な人というのは自分自身も含まれると思う。むしろ、自分を大切に気にかけることができて、守ることができるのは自分しかいない。
自分を大切にすること、例えば好きなことをする、好きな人と会う、と言うのは自分が下した決断による行動であるのであって、それらの選択の積み重ねが自分を大切にするか、ボロボロにしてしまうのかを最終的には決める気がするのだ。
だからこそ、"自分を守る最後の砦は自分"という言葉を胸に悔いのない毎日を過ごすことが大切なんだろうな。
言うだけなら簡単で実行するのは難しいのだけれど。
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