メサイア・コンプレックスBAR~メサコンから解く、生きやすさのヒント~

こんにちは、まなだむです。
じわじわと冬が迫ってきていますね。
あ、コーヒー豆を焙煎してもらいに蔵前にいかなくちゃ。
わたしは酸味だいすきなので、いつも浅煎りです。


10月16日(日)は世界一ニッチで気まぐれなBARと噂されるメサイア・コンプレックスBARをオープンしました。

天(神でもなんでも良いけれど)はあえて人を完璧にはつくりませんでした。その不完全を紐解き、愛でようという趣旨のBARです。ワインを飲みながら議論したり、プレゼンテーションをしながら、誰もがunder construction(工事中)なんだなとホッとするような気がしました。私だけじゃない、と思えることは孤独に鎖をしたようなものです。孤独に噛みつかれなくて済みます。

生きづらさに明日パッと変化できるような特効薬はない。ではメサコンが幸せになるためにはどうしたら良いのか。かなり具体的に語られた夜になりました。全部はむりですが、その様子をちょいとお伝えできればと思います。


「表現は癒しである」

という自論のもと、BARでは集まったひとが思い思いに思いをつらつらしてもらえる場になればといつも考えています。わたしが人生最大級の大ゴケから立ち直れたのも、うまく吐き出せる機会があったからです。

そういえば村上春樹も「小説は魂を救うものだ」というようなことを言っていました。芸術もそうですが、表現することにはじまるプロセスは癒しに行き着くらしいです。

表現すると共感してくれる人がいたり、意見やアドバイスを得てさらに深まっていきます。そうすると他人に共感できたり、応援できるような余裕がうまれてきます。

悩みは薄まっていくし、傷は治っていくし、芸術なら推敲される。表現こそ、生きることだ!キリっ!(だからわたしは精神的露出狂なのでしょう)と明言しておきます。


「表現とわたしは違うもの」

表現すれば当然、たまにはグサっとくることを言われたりしますが、表現したものと「わたし」は違うもので傷つく必要はないんだということがだんだんわかってきます。(芸術系大学を出た人はこれが得意です。芸大生がストレス社会で成功者になる説を唱えているのですが、また書こうと思います。)

それにしても、じぶんの中身を広げてみんなに見せてみるというのは、春の日に早起きして作ったお弁当を見せ合っているような、なごやかさがあります。

いや、卵焼きはこうあるべきだとか、梅干しはカリカリ派なのか、はちみつ入りの甘いものでないとダメなんだとか、白熱し、ゆずれない議論はあるものの、その風景自体がすでに癒しであるような、平和な雰囲気に見えました。

「で、メサコンってなにが困るの?」

さて、会場にはメサコンの人もいれば、メサコンにホイホイされる人、メサコンって何ぞやという人もいました。「誰かのためになりたい、救いたい」という一見母性の延長のようなメサイア・コンプレックスは、一体どういったことが困ったことになるのでしょうか。

メサコンは「メサイア(救世主)になりたいけれどなれないことでこじれている」状態をいいます。「人を救いたい」というきもちの起因する所が「じぶんのため」であれば、結果的に相手を救おうが救われなかろうが、メサコンです。しかし、これがなかなかじぶんでは気付くことができないないので難しい!!

どんなに耳障りのよいことばを並べたところで、動機がじぶんのためであればエゴ以外のなにものでもありません。
例えば家族関係が悪かった女性に「君のお父さんになってあげたい」という人がいたとしましょう。そう本気で考え、ただただ奉仕するならメサイアですが、そこに尽くしてあげたんだから俺に見返りがあって当然というような意識があるなら迷惑なはなしです。

ただしこの場合、女性が「この人キモチワルイ」と気づいて拒否できるなら終わりで、なにも起こりません。問題はその女性が「優しくしてくれるなんて嬉しい」とズブズブの関係になると事件が起こりはじめます。

メサコンは共依存関係がスイッチになっています。


メサコンの罰は共謀した者に科せられます。

程度の差はあれど、依存関係においてどちらかが100パーセント悪いということはあり得ません。だからメサコンの私もじぶんの受けた被害の面だけ(面白いから)さらしていますが、同時に立派な加害者であるはずです。
私の場合は承認欲求型メサコンでなので、じぶんの価値を上げて相手に認めてもらうための行動します。

ということは、そこには最初から相手にマイナス要素があり、それをプラスに転向するメサイアのわたし……。という「ストーリー」が必要です。メサコンの対義語がシンデレラ・コンプレックスですが、ここにも「理想でない現実を変えてくれる王子様がいるはずだ」というストーリーが必要になってきます。

妄想の物語の中で、役割を演じているのです。

これがわたしのダメ男ばかり好きになる子宮のバグの原因の一つです。あくまで一つというところが根深いですが……。

近々某メディアさんから私の記事が出ますけれど、そこは私の被害実録だけです。(いや、全国の皆様にさらすレベルではあるので、被害は被害だと叫んでよいことなのですが。)

しかし、歩道にいたのに車にひかれる事故とは違い、この手の被害は共謀した人と罪を分け合うのが基本です。
なにも恋人や夫婦の関係にとどまりません。
ブラック企業でも同じことが言えます。共依存×クローズドなセカイで、世の中一般の基準も、じぶんの感覚も失われ、なにが正しいかわからない今ここではないどこかのセカイへ旅立ってしまいます。

人に尽くしているうちに違うセカイへ迷いこんでしまう、かわいそうな子羊たち。それがメサコンです(白目)。この日はかなり細かくメサコンをカテゴライズできたのですが、ぜんぜん書ききれないので無理やりまとめに入ります。


メサコンからわかる 生き易さのヒント

1、現在地を知る
GPSは要りません。じぶんの位置のことはじぶんの頭の中で確認できます。
迷ったり、悩んだり、ネガティブになってじぶんがよくわからなくなっている時、「表現する」ことを忘れないでください。話すと客観できます。体のじぶんから幽体離脱して1メートル上から眺めるようなイメージです。

依存してるのかな?と感じたり、ひとりのセカイに引きこもりたくなったら、弊社株式会社たかだまなみに来てください。現在地をお知らせするサービスを行っております。

2、クローズドなセカイをつくらない
恐ろしいのはこれです。マスメディアの刷り込み、親からの刷り込み、世間からの刷り込みは見えない「箱」をつくります。こうあるべきだ、今のじぶんとは違う理想があるはずだ。意識高い自己啓発好きさんも、けっこう箱にはまっています。(はまれる元気のある時は良いんですけれどね……。)

生きづらさを分解していくと「適応障害」なんです。箱にギュウと入ろうとしても、本心ではないので無理をしなくてはならない。気付かないうちに疲弊している人も多くいます。

いくらじぶんが正しいと思っても、周りの人がNOといえばじぶんを疑いたくなるのがにんげんです。DV野郎やブラック企業につかまらないためにも、クローズドなセカイに引きずりこまれないよう意識を持つのは大切です。

DV案件のプロの私が叫びます。
「クローズドなセカイ、危険!」

3、判断ができなくなったときのお助け舟の確保
相談できる人、信頼できる人を見つけておきましょう。それには先に徳の貯金をしておくべきです。人の嫌がることを率先してやる、想像力という優しさを発揮するなど。人間関係はひとりでに育つものではなく、マメさが必要です。
私が悪いの?会社がイカれているの?彼がおかしいの?とわけがわからなくなったら、相談に乗ってもらいましょう。

友人だけではなく、行政や弁護士に相談というのもあります。普段からアンテナを張っておくと良いでしょう。このあたりのリテラシーは高めておくにこしたことはありません。

4、避難場所をもつ
じぶんの部屋だけでなく、帰れる家をいくつか持ちましょう。ある日とつぜん働けなくなったら。でもお伝えしましたが、避難場所、とっても大切です。悩みから物理的に距離をおくのは、避難場所がなければ難しいです。

メサコンが発動しているということは、既に共依存になっている可能性が高いので、大事件が起きる前に深呼吸できる場所があるといいですよね。
実家、友人宅、シェアハウス、どこでも良いです。

さあ、今日はいい天気だ!外にでよう!

<終>


☆有料コンテンツになっていますが、最後まで公開しています。お気持ちいただければ幸いです。頂きましたものはわたしのメンヘラを更生させてくれた「ミンダナオ子ども図書館」に寄付します。


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