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タイムパフォーマンスへの小さな反逆活動

すこし前からタイムパフォーマンスという言葉を耳にするようになった。

タイムパフォーマンス(タイパ, タムパ)
タイムパフォーマンスとは、あるものに費やす時間とそれによって得られるものや満足度を対比させた度合いのこと。できるだけ短い時間で得られるものが大きい場合、「タイムパフォーマンスが高い」と表現する

シマウマ用語集

コストパフォーマンスという言葉はもうすっかり常用語だけれど。タイムパフォーマンスという言葉もできたのか。。それだけ、情報社会時代!令和!といういわゆる " 現代 " に生きるひとりとして最近の時間ってなんだろう、といろいろ考えてみた。

身近にある、タイパ高い現象。


スマートフォンのチリツモ時間。

スマートフォンがここまで生活にがっちり絡んできているからこそ、タイパという言葉が生まれるのも必然な気もする。スマートフォンのおかげで世界中の他人とも時間を用せず、簡単につながれるようになった。
スマートフォンは、とても便利で刺激的で、楽しい。広告も友達の近況も15秒以内でどんどん流れていく。その15秒の間に物語の起承転結が構成されてたら、そりゃあ楽しい。簡単。すぐに物事の結果や結末も見れる。ショート動画の動物とか癒される。タイパ高い。


電子マネーのスピード会計。

最近はPayPayも当たり前になってきて、お会計の時間が大幅に短くなった。タイパ高い。
ちなみにビックリするけどお札や小銭を探す行為自体がダサいという話も聞いた。こわい。(ギャル語でカエルカって言ってバカにされちゃうらしい。新語。)

都会なんて、特にすごそうだ。東京に旅行したとき、寄ったコンビニでレジの番が自分にきたときの緊張感がはんぱじゃなったことを思い出す。スマートにお会計できないと舌打ちが飛んできそうなピリピリ感すらあった。


時短漫画。

先日従業員の男の子に借りた紙の漫画でも、バトルスタートして次のページをめくったら対戦相手がもう死んでいた。早い。すべてが早い。ページすっとばしたかと思って、1ページを指でネリネリしたけど、やっぱり1ページで死んでた。
10巻ちょっとで一気に終わったけど内容は濃密。タイパ高い。



特にスマートフォンを1度手にして15秒の動画をいくつもみれば、コツコツと時間はなくなっていく。2時間なんてすぐになくなっている。本当の意味でタイパが悪いってなんなのだろう。



タイパの悪いものたち。


少ない人数でまわしている飲食店。


そういう意味で、わたしたちのお店はかなりタイパが悪いといえるかもしれない。パスタは一人で作っているし、スタッフの数も最少人数。
2口コンロで一斉にパスタ5種類、15人分作ることもある。パスタの湯で時間は5分。オーダーが重なったときは、どうしてもお客さまをお待たせしてしまうタイミングがある。
(口コミにも「本気で待たせすぎ」と書かれて一瞬落ち込んだけれど、そうだよなあと納得してしまった。)

(と、まあ、、お店のことを絡めると違う話になるので話を戻そう。)


自然そのもの。

このテのものは、つい話が壮大になるので自粛しますが。ざっくり言うと野菜が育つのも、土が育つのも、時間がかかる。

畑を少ししたことあるだけだけど、大変だった。どれだけ手をかけてもダメになることもあった。

とうもろこしなんて絶対もうやりたくない。うまくいったと思って数日後畑に行ったら鳥に食べられてる。
ブロッコリー育ててたつもりがキャベツができてたこともあった。



タイパがよくて、人は幸せなんだろうか。


人間は幸せに豊かになりたくて日々を送ったり、生活するうえでいろいろなものを生み出したり、いわゆるクリエイティブってやつをやったりしているはず。でも、豊かさとはなんだろう。
タイパの高いことをし続けて、時間を確保できたところでそれは豊かで幸せなんだろうか。。

このままでは、時間を消費していくだけではないのかな、生きているこの時間をちゃんと味わえているんだろうか。古くさいわたしは、そんな気持ちになる。

スマフォのチリツモ時間で、本来自分はなにに時間を使ってただろう。軽いストレッチなんかして体と対話してたような。

電子マネーでお会計は一瞬になったけど、お会計でお金のやりとりをしている間にうまれる "間 " でお店のひとと、ちょっとした会話をしていなかっただろうか。

漫画も一気に完結して読破感!は味わえるけど、本来はその一気にすぎていくひとコマひとコマにじっくりと登場人物の感情表現がうるさいほど描かれていて、その漫画の登場人物にグッと感情移入して、いろんな感情や思いに出会わせてもらってたような。

豊かさとはなんだろう。
そんなことも考えさせてもらえないほど、早いスピードですぎていくような気がする現代に生きるわたしが、あえて意識的にしていること。

題するなら、タイパ高い活動現代への小さな反逆活動。


すべてが早い現代への、ちいさな反逆活動。


すすんで「自閉」する。

大好きだったSNSとも距離を置いて、しっかりすっぽりと「自閉」する時間を増やしてみている
好きなものや行ったところ、それこそ考えたことなどはすぐにシェアせずに、自分の中だけでグングンと膨らませて、自分のためだけに「好き」をなでなで愛でる時間。自分なりの考えを、もんもんと存分に考える時間。
これが、すごくすごく楽しい。心と頭スコッと軽くなるときがある。時間もゆっくりすぎる。
起きてからすぐ、寝る前までの大事な時間にまで社会とつながってたくない。自分だけの宝物みたいな、そんな時間を確保する。


和暦で、タイムリープ。

以前も記事にしたけれど和暦を感じる時間。これは、いいです。和暦には、わたしのなかではタイムパフォーマンスとは真逆に近い意識を感じざるを得ない。


日本の土地の最大の個性ともいえる「四季」。その四季を感じながら、中国の旧暦の文化を日本独自に作り変えてくれたもの。

日常にすこしだけ和暦と旧暦を取り入れるだけで、すぐそばにある自然を感じられて、情報に渦巻く現代の時間軸がフッと変わる。(気がする。)
昔のひとたちの感じていた時間軸にタイムリープする感覚になれて、心が鎮まる。自然をエンタメ化して、文化にしていった昔のひとたちの余裕をおすそわけしてもらいながら、現代を生きたい。


茶道の映画を観る。昔の白黒映画も良き。

樹木希林さん主演の映画「日々是好日」がバツグンに、いい。「茶道という総合芸術」の奥深すぎる世界にチョロリと触れさせてもらえる昨品。なにかをできるようになるということは、たくさんの時間がいる。そして、時間をかけることの豊かさと美しさや尊さを教えてもらえる。ああ、書いてるだけで癒される。景色や茶室も美しくて、日本人としての美意識も高まる。

実際に1950〜70年代の映画を観るのもいい。
同居してる70歳代のくま父に、小津安二郎とか黒澤明という映画監督の作品を教えてもらってたまに観ている。

映画「羅生門」なんて、冒頭バリバリバリ!と大雨の音で俳優さんのセリフ聞こえにくいし、雨の音だけ長く聞かされる時間なんかもあった。それでまたそのシーンの、体感時間も長くする効果もあるんだろうけれど、そんな今のエンタメではなかなか表現されない。でもそれがすごくいい。

単純におもしろい!と楽しめるのと、頭への残り方が深い。さっと過ぎてかずに、残っていく。結果、これってタイパがいいのではないかとさえ思う。

そして、こういうことを考えていると行き着く先は、急がば回れという先人の言葉を思い出す。


早いのが悪いとは思わない。早いのは便利。助かるし。SNSも、大好き。インターネットはたのしい。

だけどタイパの高さをとる生活がつづくと、「つかれたー!」「情報のシャワーしんどいよー!」と脳みそが叫んでいるのも事実。

タイパの高い行動が続くと時間を獲得できても、イライラも同時に同居させることになるかもしれない

だから軽やかに、あえてタイパの悪い行動をする時間も意識的に取っていきたい。

でも、どちらも行き来できるといい。早いのに慣れると相手の感情を読み取ったり、コミュニケーションも早くなってそれはそれで思考を進めると、このまま人間はどんどん簡略化されて、テレパシー使えるようになるかな?とあらぬ方向に行き着くことすらある。それはそれで未来も感じてワクワクするし。

時間はきっと、自分次第で伸び縮みするもの。タイパ重視して疲れている自分に気づいたら、小さな反逆活動をしながら、現代をゆるやかにのびやかに生き抜きたいな、と思う。


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