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悪口について考えた。

私の友人に『コミュニケーションの天才』と
(私が勝手に思っている)人がいる。

とにかく顔が広くて、仕事先でもコミュニケーションが欠かせない仕事をいくつもこなし

プライベートでも色んな分野のコミュニティに関わってていつも楽しそう。

大規模な企画で多くの人と関わっているところも見たことがあるけれど、

いつだって本にも周りも笑顔って、すごいことだと思う。


そんな彼女と『悪口』について話したことがある。

彼女は悪口を言わないことで有名で、
それはたくさんの人たちに好かれる理由の一つでもある。

そんな風にいられるのはなぜ?
悪口を言いたくなったりしないの?

と聞いてみたのだ。

彼女はポジティブ信者ではなく普通の感覚の人だから、悪口を言わない努力をしているわけではない。

イラっとくることもあるし、相手と意見が食い違うことだってある。

ただ彼女のすごいところは
視点がとてつもなく広いのだ。



誰かの悪口を言いたいとき、
言ってしまうときというのは大抵
「私は間違ってない、あの人が悪い』という
対立の視点でものごとや相手を見ている。

悪い人(物事)がいるとき、
必ず正しい人が設定されている



私(もしくは誰か)の考えは正しい
私(もしくは誰か)の感じることは正しい
私(もしくは誰か)の信じてることは正しい

だから

(それと異なる)あの人の考えは間違ってる!(それと異なる)あの人の感覚は間違ってる!
(それと異なる)あの人の信じてることは間違ってる!

そんな風に相手を否定するエネルギーが乗っかり、さらに『(私は正しいと)認めて!』というエネルギーまで乗って発せられる。

当然、めちゃくちゃ重い。

重いエネルギーは、ぶつけられると
とってもしんどい。

だから悪口というのは
まともに聞かされる方は疲れるし、
ふと耳にしただけでも気分悪くなるし、

うっかり自分に関しての悪口を聞いてしまった時には
立ち直れないくらい、傷ついてしまうのだと思う。

この『(私は)正しい』と
『(あいつは)間違ってる!』の二つしかない時、
人はぶつかり、苦しくなり、争いが起こる。

彼女は人と意見が異なっても、
批判されても、ときには攻撃されても、


絶対に、この二項対立の枠の中には入らない。

あなたはそう思うのね
私はこう思う

あなたはそう感じるんだね
わたしはこう感じてる

あなたの信念はそこにあるのね
私の信念はこれなの

そして、いつだって、自分と相手以外の無数の考え、感覚、信念があることを忘れない。

私も相手も、ただの一意見を言っているに過ぎないことを本当の意味で分かってる。



『枠』は無数に存在していることが当たり前で、ただそれだけ。

だからいつだって、二項対立にならないのだ。

対立ではなく、ただこう思う。を伝えるとき
不思議と悪口にはならない。

否定も、認めてほしいのエネルギーものっからないから、周りも不快にならないし、
なんなら意見の違う相手にも、すんなり受け入れられたりする。

この、あっさりした感じが
コミュニケーションを円滑にできる
彼女のすごいところだなーと


話してて思いました。


ありのままを受け入れる
一人一人ちがう

これを本当の意味で理解し、体感して受け入れられたとき

視点がどんどん広がり、
考え方もどんどん大きくなる。
選択肢も無数になり、

私の世界は、きっともっと豊かになる。


悪口を言う人のことすら『ただのあり方のひとつ』なんだな、って思えたとき

悪口は私の世界から消えるんだろうな。


なんて思ったので備忘録。


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