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近代生理学の父、ウイリアム・ハーベィ「血液は循環する」

 コペルニクスから始まった現代科学。ついに17世紀から医学の世界にも現代科学的論理性が組み込まれます。その男の名はウィリアム・ハーベィ、宮廷内科医でした。近代生理学の父と呼ばれています。小学校理科で習った心臓を起点とする血液循環は、医学の大発見でした。(小野堅太郎)

 ヴェサリウスらによる画期的な解剖図譜の出版などにより、古典的なガレノス医学から解剖学、外科学といった新しい領域への機運が高まってきていました。時代は宗教改革真っただ中。カソリックとプロテスタントのせめぎあい、革命やむなしです。ヨーロッパ医学の世界では、同時にパラケルススによる古典医学の全否定と占星術の導入、新しい薬物治療法の開発などがありました。つまり、12世紀から始まった大学創設からの教育が「古い」とみなされ、紙媒体(本や手紙)での情報の拡散により神学や医学の概念修正が余儀なくされ、血が流れる時代でした。

 1578年、イングランドの小さな漁村で有力商人の長男としてウイリアム・ハーベィは生まれます。Harveyですので、「ハーヴィ」の発音が近いと思いますが、ハーベィやハーベーといろんな表記があります。これまで何度も書いたように、当時の大学には共通言語としてのラテン語が必要でした。ラテン語習得後の1593年、15歳でケンブリッジ大学の医学部に奨学金をもらって通います。6年間学んだ後、医学で当時もっとも有名となっていたイタリアのパドバ大学へ留学します。パドバ大学では、ヴェサリウス退職後を継いだレアルド・コロンボ、その後を継いだヒロニムス・ファブリキウスが解剖学の指導を行っていました。

 現在は、小学校理科で血液循環を習います。しかし、当時は全く異なるメカニズムが信じられていました。いずれ詳細な記事にまとめますが、当時の医学の神であった1500年前の古代ギリシャ医療人「ガレノス」の考え方が、定説となっていたのです。「肝臓が血液を作り、静脈を通して血液が全身に吸い取られていく。一部の血液は心臓の右側の部屋に入って、左側の部屋に染み出し、肺からの空気活力(プネウマ)を得て動脈を通して全身に熱と活力を与える。」というものでした。なんか一瞬間違っていないようにも聞こえますが、アレアレ?というところがいっぱいあります。

 まず、この考え方では、静脈と動脈が独立して機能しています。人体解剖では、動脈は固く、静脈は柔らかく伸縮性に富んでいます。自然死した御遺体では、動脈に血液は僅かですが、静脈には血の塊がびっしりと残っています。おそらくこのことから「血液は主に静脈を流れる。動脈は空気も流れる。静脈と動脈は独立した別の組織だ。」という理解になったのでしょう。

 次に、心臓の右側から左側への移動ですが、ガレノスは動物の解剖しかやっていなかったようですので、「1心室」の動物の結果から推測し、「2心室」の場合は「目に見えない穴を通して」血液が移動すると考えたのかもしれません。ヴェサリウスは「そんな穴はない」と書き残していますが、やんやいろんな人から批判されています。おそらく空っぽの肺静脈・左心室の解剖所見から、心臓へ肺から空気が送られてきたと解釈したのでしょう。この点については、コロンボが既に「血液は心臓の右側から肺を通って左に移動する」と主張していました。

 ハーベィはパドバでファブリキウスに直接師事を受けました。ファブリキウスは静脈弁について詳細に調べ、静脈での血液の逆流を防いでいることを指摘しています。つまり、パドバ大学では観察や実験から新説を発表し、旧来の説に異を唱えることを厭わない雰囲気が出来上がっていたということになります。当時のヨーロッパの政治的・宗教的背景も合わさって、権威を恐れない科学的主張が許されるようになってきていたわけです。

 1602年、24歳となったハーベィは医学博士号を取得し、イングランドに帰ります。当時のイングランドは、演劇が大人気で、シェイクスピアの現役時代です。翌年にエリザベス一世が亡くなり、その後をスコットランド王のジェームス6世が継承することになったため、彼はイングランド王ジェームス1世となり、United Kingdom、イギリスが誕生します(まだ、イングランドとスコットランドのみ)。ハーベィは王立内科医師会に所属し、ロンドンでのし上がっていきます。何度も言いますが、当時の医者といえば内科医です。そして外科医、最下層に歯科医の時代です。ハーベィはそんな中でも外科講座を開いたりしてしています。1618年には、ジェームス1世の臨時医に任命され、後に常勤となります。1625年のジェームス1世の死後は、チャールズ1世に仕えます。

 1628年、50歳となったハーベィは「動物の心臓と血液の動きに関する解剖学的研究」との小冊子を出版します。彼の解剖学的観察、臨床経験、そして生きた動物を用いた血管結紮実験により、「心臓はポンプとして働き、血液を動脈に送り出し、静脈を通して戻ってくる。つまり、血液は循環している。」との説を論理的に証明します。もちろんこれだけで証明が終了したわけでなく、自説への反論に対して反駁する実験結果を加えていきます。

 まずは、「動脈と静脈は繋がっている」について。上腕をきつく縛って、その後少し緩めると、静脈が膨らんできます。この方法は「瀉血」なる謎の治療法のために多くの医者が経験済みでした。現代では採血の時、針を刺す血管(静脈)を見やすくするために、ゴム管を使って同じようなことをやりますよね。これを実験結果として記述すると、「静脈と動脈を同時に閉鎖すると何も起きないが、ゆるくして動脈の血流を戻すと静脈が膨らんでくる」となります。ガレノス医学の考え方では「血液は肝臓から静脈を通って吸い取られていく」という理解ですので、静脈が細くならずに膨らんでしまうのは矛盾しています。この結果から、ハーベィは動脈と静脈は繋がっていて、血液は動脈から流れ、静脈に戻っていくという説を唱えるわけです。

 さらに、上腕を縛って膨らんだ静脈はところどころ結節のような小さなふくらみが出てきます。師匠ファフリキウスが研究した静脈弁があるところです。この結節を指で押さえると、縛っている側の静脈のふくらみを消すことができます。つまり、血液が末梢から心臓側へ流れているということです。解剖で静脈内に棒を通そうとすると、心臓側へは棒がするりと通るのに、末梢側へは通せないことから、静脈弁により血液は末梢から心臓側へしか流れないようになっているとハーベィは論じます。

 次に、「心臓が循環ポンプになっている」ということについて。まず、解剖では心臓から肺に血液を送る血管はどう見ても解剖学的には「動脈」なわけですが、ガレノス医学では「静脈」と捉えないといけませんので矛盾を抱えていました。また、ヴェサリウスも指摘したように心室左右を隔てる壁は厚く、とても血液が浸透できるような穴は見つかりません。犬の生体解剖では肺から心臓への太い血管には血液が充満しており、「空気(プネウマ)が流れていない」ことを指摘します。また、動物実験で心臓の拍動と末梢動脈での脈拍が同期していることにも触れています。心臓の拍動観察についてはウナギを使ったらしく、拍動の速い恒温動物ではなく、拍動の少ない変温(冷血)動物を使ったのも興味深いです。

 顕微鏡観察がまだ医学研究に使われていませんので、毛細血管の存在がわかっていません。呼吸がガス交換であることが全く分からない時代です(ハーベィは「肺で血液がろ過されている」と考えてました。ラボアジェの研究を待たなければいけません)。ですので、いろんな反論があって、この血液循環論が信用を得るにはかなりの時間がかかったようです。とはいえ、このハーベィの新説に従えば、内服薬を外用で皮膚吸収させても少量で全身に効果を示すという謎の現象が説明できるようになりました。以後の医学を変える大発見であったことは間違いありません。

 こういった発想は、コペルニクスと同じです。「オッカムの剃刀」に倣い、種々の仮説を排除してシンプルにし、逆に多くの謎現象を説明できるようになったわけです。ハーベィにより、まさしく医学の近代科学化が始まったのでした。

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