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平安時代「医心方」における虫歯治療:歯科医療の日本史③

 平安時代中期、丹波康頼が残した「医心方」に歯科治療についての記述がある。前回の記事では書ききれなかった「歯の痛みの治療法」について説明します。(小野堅太郎)

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 「医心方」は下記リンクより閲覧が可能です(著作権の問題で画像は出せませんので、直接、覗いてください)。

 現代語訳本(槇佐知子訳)が筑摩書房から出ています。また、「歯科医学史を求めて」(田中勝則著、2001年、長崎文献社)も参考にしました。

平安時代の歯痛分類

 歯科治療といえば、歯痛です。医心方には歯痛について4つの章があります(57、58、66、68章)。つまり、歯の痛みを4つに分類していたということでしょう。小野独自の解釈で考察してみます。4つの章のタイトルは原文に忠実に解釈すると、57章「風歯痛の治療法」、58章「齲歯痛の治療法」、66章「牙歯痛の治療法」、68章「歯がしみるの治療法」となります。

 まず「風歯」です。当時の病は、寒くなり冷たい風が吹く時期になると発熱して体調が悪くなることから、風に起因すると考えられていました。カゼは「風邪」と書くように、風(ふう)と共に邪(じゃ:よろしくないこと)がやってくるわけです。風冷により歯に病気が引き起こされ、顔や歯茎が腫れたりすることを総称して「風歯」と言っていたようです。

 「齲歯」は風歯と同義に使われたようですが、医心方の説明書きからすると、疾患対象が「歯とその周囲の歯茎」に限定している感じがあります。風歯との関連性から章が連続していると思われます。現在は虫歯のことを正式な歯科用語で「蝕」と書きますが、この「う」は「」です。「齲」は、歯の中に虫がいるという象形文字です。歯茎にも病変があるようですので、歯の上の部分「歯冠」が崩壊して黒くなっているような重篤な虫歯だと思われます。現在の分類ではC4(歯の根っこだけ残っている状態)でしょうか。この状態になると、歯の根っこの先に膿が貯まり排膿し、歯茎が腫れてきます。

 59章から順に、「歯が割れたとき」「歯を固くするには」「歯が抜けそうなとき」「歯の着色」「歯が臭いとき」「歯茎が腫れたとき」「歯茎から出血しているとき」ときて、66章で「牙歯痛」がきます。おそらくこれは、見た目で重篤な「齲歯」より軽度の虫歯によるものでしょう。歯茎には症状がみられない「歯」だけに限定される疾患のようです。現在の分類だとC3(歯冠は残っているが歯髄まで達する深い虫歯)かなと思います。

 67章の「歯の後ろから出血が止まらない時」を間において、68章で「歯がしみる」の話になります。これまでの流れからすると「歯に何ら病変は見られないのにしみて痛いとき」と思われます。現代でいう痛覚過敏です。現在の分類だとC2(歯髄までは達していない、象牙質までの浅い虫歯)でしょう。

 まとめると、4つの痛みは症状の表出範囲により分類されていて、「風歯痛(C4+顔面の腫れ)>齲歯痛(C4)>牙歯痛(C3)>しみる(C2)」の順のようです。これは重篤度分類ともなっており、治療法が異なるのは理にかなっています。現代の分類では、C1(エナメル質に限局した虫歯)とC0(歯の表面に白濁がある状態)もありますが、痛みはありません。この解釈に沿って、以降の章タイトルに意訳しています。

第57章「虫歯(C4)で顔が腫れて痛いとき」

 多くの治療法では共通していて、ウドの根っこを乾燥させた「独活」という生薬を酒で煮て、煮汁を口に含むとあります。独活にはNotopterolという消炎鎮痛作用が知られた物質が含まれるようですので、薬効は意外にあったかもしれません。

第58章「ひどい虫歯(C4)で痛みがあるとき」

 予防法として「朝夕に歯をたたく」という訳がわからないものもありますが(「歯固め」の由来?)、「食後に数回、口を漱ぐ」という素晴らしい内容が記載されています。他にもいろんな治療法が紹介されていますが、「虫歯の孔にぴったりサイズの鉄棒の先を熱し、数回孔に押し当てる」という歯髄を焼き切って疼痛神経末端を破壊する方法があります。また、「松ヤニを詰める」というのもあり、アラビア人の名医ラーゼスも同様の治療法を書き残しています(松ヤニではなく乳香ですが)。アラビア医学が唐医学と融合していた証拠と言えるかもしれません。

第66章「虫歯(C3)で歯が痛いとき」

 58章の齲歯がひどい虫歯で歯茎にも病変がみられるものとすると、66章の牙歯痛は歯だけに限局するものと捉えました。医心方によると「歯が互いに引っ張り合うから痛くなる」ということのようです。なんとなくこの説明から「隣接面う蝕(歯と歯の間の見つけにくい虫歯)」のように感じます。

 対処法として「湿らせた柳の枝で毎朝歯を磨くと、三日と経たないうちに痛みと口臭が消える〔竜門方〕」とあります。虫歯の予防法としては二重丸です。患部(う蝕部位)を特定できていない状態での治療法ですので、数々の謎の治療法が掲載されていますがいずれも有効であったとは思えません。おそらく虫歯が大きくなって歯冠が崩壊して「58章の齲歯」にまで進行していったと思われます。

第67章「歯がしみるとき(C2)」

 おそらく歯の痛覚過敏についての話です。冷たいものが歯にふれたときに「キーン」と痛むやつです。現在の歯科医学では、「象牙質の細管内液が動くから」と考えられており、細管の孔を塞ぐことで症状が緩和します。医心方の対処法は2つあり、①蜂蜜を噛む、②シナモンの皮(桂心)とジオウの根(生地黄)を噛む、です。うーん、効果はあったのでしょうか・・・。

 さて、この「医心方」の功績から丹波家は平安時代後期から典薬頭を和気氏と世襲することになります。平安後期になってくると耳鼻科と眼科から分かれて「口歯科」となってきます。さて、次回は、鎌倉時代末期における宮廷歯科事情について紹介します。お楽しみに!

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