山崎蒸留所見学 3年ぶり

久しぶりに山崎蒸留所に行ってまいりました。
2019年に知り合いと一緒に伺ってから三年の沈黙後です。
何回も行っておりますが、やはり蒸留所というものはワクワクします。

山崎蒸留所のエントランスです

山崎蒸留所が創業したのは1923年と言われています。
その歴史を少しまとめておきます。
山崎蒸留所創業の歴史は、日本の本格ウイスキーの歴史とも関連するので、さまざまな人、場所が関わっており、とても複雑なのですが、重要なのは、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏と、サントリーの創業者である鳥井信治郎氏です。
このお二人がいて、さらに関係性を持っていなければ、今の日本のウイスキーはなかったでしょう。
詳しく書き出すときりがないので、それはまた別途纏めることにします。
まずは、サントリーの歴史をざっと書いておきます。

サントリーの歴史


1899年 鳥井信治郎が鳥井商店を開業
1907年 赤玉ポートワイン発売(現在は赤玉スイートワインとして販売されています)
1921年 株式会社寿屋を設立
1923年 サントリー山崎蒸留所着工。竹鶴政孝が初代工場長として就任。建設や技術指導を行う。
1924年11月11日 山崎蒸留所竣工
1924年12月2日 麦芽製造開始日(この日が山崎蒸留所の竣工日とされる場合があるそうだ)
1929年4月1日 サントリーウイスキー白札 発売。記念すべき国産本格的ウイスキーの発売です。
1937年 サントリー角瓶発売
1963年 サントリー株式会社に社名変更
1973年 サントリー白州蒸留所創業
1984年3月14日 サントリーシングルモルトウイスキー山崎発売
1994年 白州12年発売開始
2012年 山崎、白州のノンエイジ製品を発売

この歴史にからむのが竹鶴政孝氏と摂津酒造です。
以下に簡単な歴史をまとめておきます。ちょっとぶらさげインデントができないので読みにくくてすみません。
表が扱えればもっとすっきりと書けるのですが。

竹鶴政孝の歴史


1894年6月20日 広島県賀茂郡竹原町(現竹原市)
       竹鶴酒造の分家筋に生まれる
1916年3月  竹鶴政孝が摂津酒造に入社
       大阪高等工業学校醸造科 岩井喜一郎が先輩で、その縁故。
       岩井喜一郎は、イルゲス式連続式蒸溜機にフーゼルオイルセパレーターをとりつけ、高品質なエタノールを製造することに成功しました。
       
1916年当時は、欧米の模造品ウイスキーしか作られていなくて、それをウイスキーとして販売していた。
摂津酒造はそこで国産ウイスキーを造ることを計画し、1918年摂津酒造からスコットランドに留学させることが決定した。
1918年7月3日 神戸からサンフランシスコに向かう 20日間の渡航。
       カリフォルニアのワイナリーを見学
       一か月くらいワイナリーで研修。
       ニューヨークに向かう
1918年11月  やっとのことでビザがおり、スコットランドへ向かう
1918年12月  リバプールに到着
       スコットランドのスペイサイド、キャンベルタウンなどの蒸留所で研修を重ねた。
       ここで研修を受けた記録を残したのものが通称「竹鶴ノート」と呼ばれている克明な記録だ。
       このノートを元に後にサントリー山崎蒸留所が造られることになる。
       また、この竹鶴ノートは、現在信州にある、信州マルスウイスキーの蒸留所建設にも使われることになる。
1920年11月  スコットランドで結婚したジェシー・ロバータ・カウン(通称リタ)とともに、帰国する。
       竹鶴政孝の情報を元に、摂津酒造で本格的国産ウイスキーを製造する予定であったが、第一次世界大戦後の世界恐慌などにより、資金が調達できず断念せざるを得なかった。
1922年    竹鶴は摂津酒造を退職。大阪で化学の講師をすることになった。
1923年    当時寿屋の鳥井信治郎がやはり国産本格ウイスキーを製造することを計画し、スコットランドに技術者がいないか問い合わせた。
       すると、日本に適任者がいるということにならい、竹鶴政孝の名前があがった。
       そこで、鳥井は竹鶴政孝を採用することに決定した。
       竹鶴政孝の寿屋への入社は1923年6月。
1934年3月1日 竹鶴政孝 寿屋を退職
1934年7月   大日本果汁株式会社を設立
1940年    余市で製造した最初のウイスキーを発売する。

摂津酒造
大阪府大阪市住吉区帝塚山東に存在した洋酒メーカー。赤玉ポートワインをOEMで生産。
 社長 阿部喜兵衛
 常務 岩井喜一郎
大阪府の神ノ木駅の団地に跡がある。

竹鶴ノートは、薄い冊子2冊ですが、ウイスキーの製造から労働に関することまで事細かに書いてあります。
レプリカの竹鶴ノートは 京都のsalon&bar SAMGHA(サロンバー サンガ)のカウンターに置いてありますのでいつでもご覧になれます。

竹鶴ノート 2冊構成でこれはレプリカです。
確か、竹鶴25年購入時にいただいたものです。


竹鶴ノートの中身です。
とても丁寧に書かれています。

サントリーの蒸留設備です。様々な形の蒸留器があります。
蒸留器は、その形によって出来上がる酒質が異なります。様々な酒質を作り分けることによって、おいしいウイスキーを作るための原料の種類が増え、ブレンドの幅が広がるわけです。

これは初溜釜です。外側にはワームタブとい古いタイプの冷却設備が設置されています。
冷却の方法によっても出来上がるお酒の質が違ってきます。

ウイスキーは2回蒸留します。最初の蒸留器を初溜釜、二回目の蒸留器を再溜釜と呼びます。

こちらも初溜釜で、ラインアームと呼ばれる部分がかなり下を向いています。
こちらも初溜釜ですが、ラインアームと呼ばれる部分は、少しだけ下を向いています。
この傾きだけでも違う性質のお酒ができあがります。
今年仕込まれたウイスキーが眠っている樽です。
1929年に発売された「サントリーウイスキー白札」です。
どんな味がしたのでしょうね。
発売された当初は、煙くさい、焦げ臭いということでかなり評判が悪かったみたいです。
なぜなら、それまで日本で飲まれていたウイスキーは甘い偽物のウイスキーだったからです。
初代工場長の目指したウイスキーは本場スコットランドのスモーキーなウイスキーだったのです。
いままで飲み慣れたものがおいしいと思うのは、今も昔も変わりませんね。
偽物でもおいしいと言って飲むわけですから。

参考文献
 Wikipedia 山崎蒸留所、竹鶴政孝、鳥井信治郎
政孝のペン、リタの国(WHISKY MAGAZINE)、サントリーの歴史タイムライン版(サントリー)



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