さよなら、豆腐屋さん 〜おじいちゃんからのギフト〜
遅くても午後には開いているはずの豆腐屋さんのシャッターが半分下され、なにやら張り紙が貼られている。
私の視界に映るその光景が大きくなるにつれて嫌な胸騒ぎが始まった。
少し遅めの夏休みかもしれないと気を持ち直したが、張り紙の文字が見えた途端、嫌な胸騒ぎは失望に変わった。
「閉店しました。長い間ありがとうございました」
この張り紙は、おじいちゃんが作ったのだろうか?
張り紙に印字された文字を眺めて気を紛らわせるように自問自答してみるも、そう簡単に気など紛らわせられない。
大好きな豆腐屋さんが、閉店してしまったのだ。
しばらくして、その場から一歩一歩。ゆっくり歩き始めた。
おじいちゃん。おじいちゃん。
帰り道、おじいちゃんの顔を思い浮かべながら何度も、おじいちゃんと呟いた。
一週間前、油揚げを買いに行ったらいつもより品数が少なく、そういえばお目当ての油揚げがなかった。
珍しいなと不思議に思い、今日は油揚げないんですね、とおじいちゃんに確認すると、そうなんですよすみません、と困り顔で言っていたのを思い出す。代わりに、厚揚げを買った。
今思えば、閉店に向けて徐々に品数を減らしていたのかもしれない。
自宅から少し離れたところにあるこの豆腐屋さんを知ったのは、今年の一月。
早すぎる別れの訪れは全く予期せぬことではなく、おじいちゃんの身体の動きを見ていれば、なんとなく察しがついていた。
注文のときの様子から耳が遠いであろうことはわかっていたし、おじいちゃん自身「片方だけ聞こえにくいんです」とも言っていた。
歩くのも、辛そうに見えた。
ついにその日が来てしまったわけで、おじいちゃんには『お疲れ様でした』と心から感謝しているが、おじいちゃんの創作した大豆製品を、もっともっと食べたかった。
寄せ豆腐、絹豆腐、木綿豆腐、厚揚げ、油揚げ、がんもどきに豆乳。
これら豊富なメニューを、おじいちゃんはたった一人でこしらえていたのだ。
たまたま居合わせたお客さんの話によると、おじいちゃんは閉店に至るまで、ひとりきりで豆腐屋を切り盛りしていたらしい。
この町に住み始めて5年も経とうとしているのに、こんなに美味しい豆腐屋さんの存在に、なぜもっと早く気づけなかったのだろう。
あー、くやしい。
でも、悲しいだけじゃない、良いこともある。
豆腐屋のおじいちゃんと出会えたおかげで、私は自分で豆腐やがんもどきを作るようになったのだ。
豆腐作りは大豆を一晩水につけるところから始めるので手間はかかるが、手作り豆腐の味を知ってしまったら市販品では物足りなくなってしまうほど、濃厚な味わいが生まれる。
自分で作ってみるとわかるのだが、豆乳もとろみがあって濃く、市販品との差は歴然だ。
手間ひまかける料理の旨味を知ったせいで、トマトケチャップやマヨネーズなどの調味料や、チーズやさつま揚げも作り始めた。
凝り始めたら、しばらく止められない。
豆腐とがんもどきはスーパーでは買わず、おじいちゃんの店から購入するか、自分で作るかのどちらかだった。
おじいちゃんの作る豆腐やがんもどきが食べれなくなってしまった今、何がなんでも自分で作るしかない…とそこまでの意気込みはさすがにないが、スーパーの豆腐にお金を払うのは躊躇してしまうのが、正直なところだ。
そこまでして手作りにこだわるのは、美味しいからという理由だけではない。
おじいちゃんのような豆腐製造業者は減るばかりで、しかも、豆腐離れが進んでいるらしい。
豆腐作りも立派な伝統であると思うし、それを忘れたくないがために、素人なりに豆腐を作り続けていきたいのだ。
毎回誰がために作るわけではないのだけれど、でも、私の作る豆腐やがんもどきをを食べた家族や友人は美味しいと喜んで食べていたし、市販品との違いもわかると言ってくれた。
豆腐離れは仕方ないと思うが、だからと言って、豆腐を食べてもらおうと『豆腐スティック』などの新商品を開発している企業が増えているらしい現状には、個人的に違和感を感じる。
手作り豆腐の美味しさを伝える方が、よっぽど理にかなっているのではないか。
だって、手作り豆腐美味しいし。
手軽に豆腐を作れる方法を知れば、興味を持つ人が少しは増えるだろう。
私自身、もっと手軽に豆腐を作れる方法を探っていて、大豆を茹でる工程だけでも省略できれば作るのがだいぶラクになりそうな気がしている。
そんな矢先、大豆を粉砕した『大豆粉』なるものがあると知った。
「これ、豆腐作りに使えそう!」
というわけで、大豆粉を使った豆腐作りに挑戦することにした。
大豆から茹でて作る豆腐と変わらないのか、その辺りを比較するのも楽しそうだ。
豆腐屋は閉店してしまったけれど、おじいちゃんに会えたら『ありがとう』を伝えたい。
おじいちゃんと出会えて、創作の楽しさを改めて実感した。
手間ひまかければ自然と気持ちがこもるし、それが旨味につながることも知れた。
おじいちゃんから受け取ったギフトは、私の大切な宝物。
私もいつか、ギフトを与えられるようになりたいな。
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