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記憶から引き出される新鮮な感情

「アイスクリームのうた」が好きだ。今でもたまに、ふと思い出す。

その歌を知ったのはいつ頃だったか…。確か、小学生になる前だった気がする。

物事に対しての判断がまだわからず、これから色々なことを学んでゆくであろう幼き頃。
好きか嫌いかは、感覚的に区別していた。

だから、当時の出来事や物は、好きか嫌いかで覚えている。
「アイスクリームのうた」の歌詞が、とても好きなのだ。

 おとぎ話の王子でも 昔はとても食べられない
 アイスクリーム アイスクリーム
 ぼくは王子ではないけれど アイスクリームを召し上がる

『アイスクリームのうた』

”ぼくは王子ではないけれど アイスクリームを召し上がる”という一文。「いただく(いただきます)」でなはく、「召し上がる」と表現している。

よく考えてみると、自分に対して「召し上がる」とは使わない。ちょっとした違和感もある。
『召し上がる』は食べるの尊敬語で、そもそも目上の人に対して使う。

○「王子様がアイスクリームを召し上がる」
X「僕がアイスクリームを召し上がる」

もう一度言うが、私はこの歌の詩が好きなのだ。文法的におかしいと主張したいわけでなはない。

幼い頃は文法なんてわからない(今もさほど詳しくない)。

”召し上がる”という表現に、子供ながらに惹かれたのだ。高級感を感じた。王子や王女が出てくるから、なおさらだ。

この作品を知ったのは、30年以上も前だ。文法的違和感も踏まえた上で、
「召し上がる」と表現した佐藤義美さんの意思だとか、意図を考えてみる。
あの頃の自分とは、まるで別人のように。

もしも誰かに「アイスクリームを召し上がります」と言われたら、どうだろう。
私なら、「言い方が変だよ」と指摘するだろう。現に、先ほど指摘したばかりだ。

相手が子供なら、不思議と可愛らしく思える。この一文をメロディにのせて歌われても同じだ。別に注意はしない。

「ああ、そうか!」

歌の中だから、”ぼく(わたし)が召し上がる”でも、オッケーだと、佐藤さんは思ったのかもしれない。ましてや、子供の童謡だ。


もう一つの見解がある。

この歌詞は『ぼく』と『わたし』目線だ。

『ぼく』『わたし』から見たら、『王子』は目上の人である。

「王子がアイスクリームを食べる」を尊敬語で表現すると「王子はアイスクリームを召し上がる」。王子への尊敬の気持ちを残したいがために、あえて尊敬表現を使い”ぼく(わたし)が召し上がる”と表している。考えすぎだろうか。

まあ、考えたところで、この歌の魅力は変わらないのだが。
いづれにせよ、相手を立てる気持ちを表現する尊敬語を使う童謡は珍しい。

その先には、『ぼく』と『わたし』が食べた、アイスクリームの感想が書かれている。

 のどを音楽隊がとおります

『アイスクリームのうた』

なんて美しいメタファーなのだろう。

子供の頃の私の脳裏には、演奏しながら喉を通過する鼓笛隊の姿がイメージされた。とても感動した。

歌詞、文章、音楽などの芸術に対する感動は、生み出した人に対する間接的な感動でもある。

言葉自体は感情を持たない。しかし、受けとることで感情が生まれ、感動へとつながる。

摩訶不思議としか言いようがない。


アイスクリームのうたは、私に感情と感動を与えてくれた。

記憶に刻み込まれたおかげで思い出すことができるし、心地良くなれる。どんなに時間が経とうと、音楽は記憶から感情や情景を引き出してくれる。

記憶に含まれる感情も情景も、肉体の衰えとは違って目視で確認できない。だからこそ、新鮮な状態で引き出されるように思う。

それを可能にする機能を持つ『人』に、感動を覚えずにはいられない。

子供の頃は、よくアイスを食べていた。

実家の冷凍庫には、常にアイスがあったほどだ。甘いものを口にしない父以外は、好んで食べていた。

特に印象に残っているアイスは、エスキモーの『ビエネッタ』だ。
見た目が美しく、その姿はまるで王女のようだ。

母はよく、「エスキモーのアイス美味しいね」と言っていた。だから、商品名は『エスキモー』だと思っていた。

先日、スーパーのアイス売り場で、その美しいアイスが映るパッケージを目にした。『ビエネッタ』と印字されている。エスキモーじゃないのかと、愕然とした。エスキモーの文字すら見当たらないのだから。

40歳にして、間違いだと気づいた。

エスキモーとは、当時の森永乳業のアイスブランドだったらしい。現在は廃止されているそうだ。

森永のホームページで、カップバージョンのビエネッタを見かけたが、ビエネッタじゃないみたいだった。

地元では毎週末、アイスクリームを販売する車が来ていたように思う。

アイスを買いに外に出ると、販売車にできた列には、すでに数人の先客が並んでいた。友達もいる。私もその列に並び、おしゃべりを楽しんだ。
もちろん、一緒にアイスを食べた。

30年以上経った今、甘くて冷たいアイスとの距離は、随分遠くなってしまった。

たまに甘いものは食べるが、冷たさが苦手になってしまった。冷たいビールは大好きなのに。

暑さに弱くても、どんなに気温が上がろうと、飲み物に氷を滅多に入れない。せいぜい、サワーを飲むときに入れるくらいだ。

アイスについて書いてる今、アイスを食べたくて仕方なくなってきた。
だって、アイスのことばかり思い浮かべてるのだから。

ビエネッタが、無性に食べたい。

実家で食べていた、王女のようなビエネッタだ。思い切り豪快に、貪り食べたい。

あ、召し上がりたい。

さて、アイスを買いに出かけよう。
ただ今の気温、摂氏35度。


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