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個人における狂気はわりあい稀なものである。しかし集団、院派、国民、時代などにおいては狂気は通則である。 (ニーチェ)

【考えるヒント】
私たちは、一般化が好きだ。「田舎の人は皆親切だ」とか、「アメリカ人は皆フレンドリー」とか、「南の国の男性はあまり働かない」とか、そのような一般化をついついしてしまう。しかし、親切な人もいれば、そうでない人もいるし、フレンドリーな人もいれば、そうではない人もいるし、働き者の南の国の男性もいるのだ。つまり、個人個人の特性がしっかりあって、簡単に一般化出来ないものなのだ。

しかし、面白いもので、集団心理というものもあって、個々人の特性が、集団の中では埋もれてしまい、ある傾向に個々人が流されてしまう時があるのだ。特に、集団に流されてしまう領域は、「感情」に関するものだ。集団の流れに押し流されて、個々人の理性にまつわる機能がマヒしてしまうのだ。

結果、集団全体が狂気に包まれてしまう。これが集団心理だ。歴史上、理性的な集団心理が発現したことはなかったのではないかと思う。そのぐらい、集団心理とは、非理性的なものだ。なぜならば、個々人の判断がマヒしてしまうからだ。

私たちには、この「狂気」という集団心理にまつわる、歴史上の苦い経験がいっぱいある。先の世界大戦時の日本・ドイツは、まさにその最たるものだし、原爆を投下したアメリカのその後の原爆投下の心理的処理も、集団心理の最たるものだ。狂気の集団心理に、私たちは自覚的にならなければいけない。狂気は、いつでも私たちの心を狙っているからだ。

【考えるヒント・今日の言霊】
2021年10月12日(火)VOL.5305     
作者:中土井鉄信(合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)


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