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グローバルスタンダードの裏側 それでもあなたは買いますか?

商品を安く作ることが企業の至上命令になっています。世界中の安い労働力、安い原材料を求めて、最適解を見つけて、実行する。それが、売上なり利益につながるからです。




安い洋服の裏側

昔、日本の衣料品は、戦後の日本の輸出の花形でした。日本産の衣料品は安くて品質が良かったからです。戦前は絹が花形でした。これも手作業の仕事です。

気になる方はこちらを見てください。主要輸出品の長期推移(1868〜2019)

その後、日本の所得水準が上がると、もっと人件費の安い韓国や中国に生産地がシフトしました。

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20年ほど前、アパレルの商品開発をしていたわたしは、香港、マカオ、中国へ商談、視察に行きました。


香港にも縫製工場や繊維関係の企業は多かったのですが、ほとんどの場合、関連会社や協力会社をマカオや中国内部に持っています。


最初に行ったのはニットの工場です。香港の工場で作れば、1枚あたり12US$。マカオで作れば、11US$でした。

その価格の違いを聞けば「マカオは染色したときにでる汚水をそのまま海に流せるけど、香港は規制が厳しいからコストがかかる」ということでした。安く作るということはそういうことです。



次に、広東省の中山の縫製工場に行きました。マカオから少し中国内部に入ったところです。

そこでは、小学生?に見えるような子供たちがシャツを縫っていました。実際は中卒くらいなのでしょうか? わたしはそれを聞くことをつい忘れていました。

なぜって、それよりインパクトのある情報を聞いたからです。

視察をした限りこの工場は良い労働環境、つまり、外国人に見せられるレベルでした。労働条件は一般的な現地の工場よりかなり良い方だと思います。

彼女たちは仕事を求めてもっともっと奥地から働きに出てきているそうです。ただ、春節の時期に故郷に帰ると何割かはもう帰ってこないそうです。まだまだ幼い上に、多分仕事もきつく、家族と離れて暮らすのが寂しいからなのです。

中国では一人っ子政策をしていたため、実は戸籍のない子供が相当数いるのだそうで、、、彼女たちの中には、そのような子が多くいるとのことでした。

だから、安い労働賃金なのだと・・・・


もちろん、そのような工場では契約しませんでした。

自社LCでの取引だったのである程度信頼の置ける工場との取引を基本としていました。信頼できないなら商社なり他のアパレル会社を通して契約するというスタンスだったからです。


(参考)2000年当時の中国の「外国向けの工場」の縫製のレベルはすでに日本と変わらないレベルで非常に丁寧できれいです。ただ仕様書の手を抜くとボタンやファスナーなど現地向けの安いものをつけてきます。それと量を作れば安くなるというスケールメリットは国産とは桁違いです。また現地へ行けば情報が手に入ります。その頃ではGAPやラルフローレン、日本のデパートブランドなどの仕様、カラー、生産量などがわかりました。GAPの生産ロットはとても大きく相当安く作っていることが予想できました。


さて、私の判断はグローバルスタンダードの基準から言えば「甘い」ということでしょう。より安く作れば、その分、利益が出るのです。もっと「安く作るべきだ。もっと工賃を下げるよう交渉しろ」というのが利益至上主義です。人道的な判断とのバランスをどう取るのかで良心をチクチクさせていてはいけないのです。

いや、それとも、良心にフタをしているというべきでしょうか。合法(多分ですが)の範囲で、徹底的にやるのが、彼らの流儀です。

投資家は経営者に利益(配当)を追求させ、経営者は従業員に利益を追求させ、従業員は外部から利益を収奪します。とてもドライで迷いがありません。



消費者に伝わるのは情報の一部だけ

ファッション雑誌やテレビのCMなどを通して消費者に伝わってくる情報は、今年のトレンドのデザインだったり、流行のカラーだったり、コスパ(価格訴求)だったりします。


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有名人が着ていたり、おしゃれなモデルさんが着ていたりします。

ファッションとは華やかなものです。華やかな情報がたくさん出回っています。たしかに、ファッションは自己表現として素敵なものです。


しかし、素敵ではない一面もあります。先ほどの中国視察のような情報です。

「海外の人を安く働かせているから安くできますよ。環境に負担をかけているから、安いんですよ」

それを聞いても、その服を買いますか?


シャツを誰かの犠牲の上で1900円で買うくらいなら「2900円出すから差額の1000円を縫製工場の女の子に渡してください」そう、思う人もいるのではないかと思います。


安く商品を提供する裏側には、正しくコストダウンに向けた工夫や努力もあります。しかし誰かの所得を搾取していたり、環境に負担を掛けている場合もあるのです。


ただ、私たちは知らされていないのです。


日本人とグローバルスタンダード

これがグローバルスタンダードなら、日本人に向かないと思うのです。

日本人には、自分よし、相手よし、世間よしという三方よしの精神もありますし、長いあいだ自然と共存してきた歴史もあります。

日本には世界的な長寿企業が多いそうです。

狭い日本の中では、噂が広まるわけであこぎな商売は長続きしないとわかっています。


一方、グローバルスタンダードは違います。資本家(株主)が連れてきたプロ経営者は利潤を上げることで自分の実績を作ります。従業員さえもコストだと思っているのです。仲間ではありません。

利益を追求しすぎると、なんか、人間関係もギスギスします。

そういうことに染まると人間にもランク付けをして自己肯定するようにもなります。これは良心を納得させるためなのでしょうか。

カネがあれば、マスメディアから忖度されます。悪い情報だってメディアが知っていても流さないのかもしれません。もちろんカネがあれば政治家に力を及ぼすこともできます。


しかし、今では情報を独占できなくなりました。ユーチューブなどインターネットを通して、個人が情報を発信できるようになったからです。また、環境に敏感な人が欧米でも増えてきました。消費者にも変化がでてきました。作り手の笑顔が見える商品を買いたいと思う人も増えています。

ブラックな労働環境で悲壮感あふれる雰囲気の喫茶店と、明るい笑顔のカフェとどちらに行きたいですか?

どっちでもいいから、少しでも安い店に行くという人もいるでしょうし、笑顔で頑張ってる人のお店に貢献したいという人もいます。

少しずつですが情報の流れも消費者も変わってきています。まだまだ、小さな流れです。

この流れはコロナ禍で絶えてしまうのでしょうか? それとも、逆に大きくなっていくのでしょうか?


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どちらの可能性もありますが、選択肢が多いことが豊かなこと、自分の気持ちにあった商品・サービスがあったほうが幸せになれます。

良い流れが途絶えるとは、わたしは思いません。



グローバルと共存していく

鎖国が良いのか、グローバルが良いのか? そう聞かれればグローバルなほうが豊かなのは間違いありません。

そもそも今の技術力では電気の需要を満たせません。縄文時代のようにどんぐりを拾って生きていくわけにはいきません。

ただ、利益至上主義だと歪みが出るということです。上手にバランスを取って行く必要があるのではないでしょうか。


よい消費者が増えればその人たちを満足させる商品やサービスが提供されるはずです。例えばSDGsという取り組みもあります。少しずつ世の中が変わって行く過渡期なのだと思います。


そういう時期だからこそ「次の時代のビジョンをどう持つか?」が大切になってくると思います。足元だけを見ていると大局を見誤ります。


あなたは、どんな時代になると嬉しいですか?


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