自民党について知ろう
ご挨拶
さて忙しくて暫く更新ができませんでした。
今回からは現時点での国政政党について解説してみたいと思います。
国政政党ってなんだと気になる人は以前の記事に記載してあります。
で、初回はやはり自民党から書いていきましょう。
自民党ってどんな政党なの?
自民党、正式には自由民主党ですね。
英語表記だとLDPとなります。
結党は1955年で、戦後日本でほぼほぼ政権与党であり続けるのが特徴です。
ほぼほぼというのは、何度か政権与党ではなくなったことがあるからですね。
ただしいずれも短期間のことで、すぐに与党に戻っていて、現在は公明党との連立政権という形です。
結党以来、自由主義を堅持する保守政党ということになっています。
自民党の歴史を知ろう
ではざっくりと自民党の歴史を振り返っていきます。
戦後の復興期にあたる1950年のことです。
この当時の日本は保守と革新それぞれに、政党が乱立しているような状況であったと考えてください。
そうした状況の中で1955年、昭和30年ですね。
革新派の政党であった日本社会党が再統一という形でまとまります。
これを見て、保守勢力はケンカしてる場合じゃねーってなるんです。
あっちがまとまるなら、こっちもまとまろうぜってな具合ですね。
保守勢力の中でも大きな存在だった自由党と日本民主党の2つが、保守合同という形でくっつきます。
あんまりにも仲が悪かったので、10年もったらいい方じゃね? なんて言われていたそうです。
で1958年に行われた総選挙で、自民党の議席が優位な形で日本社会党との決着がつく形になります。
要するに2大政党で議席をほぼ占めることになったんですね。
これを55年体制と呼んでいます。
その後は安保闘争があったりもしたんですが、じわじわと議席を伸ばしていくんですね。
この時がちょうど社会科でも習う、日本の高度経済成長時代なんです。
年に10%以上も経済成長していたって言うんですから、今の経済状況とは大きな違いですよね。
この中核になったのが池田勇人が打ち出した、国民所得倍増計画です。
安倍政権でも国民の所得を100万円増やす! なんて言ってましたけど、この所得倍増計画はものすごく上手くいきました。
でも好景気はいつかは終わるものです。
高度経済成長時代も終盤に差し掛かって起こったのが、1966年の黒い霧事件ってやつですね。
ざっくりと言うと、自民党を中心にして起こった汚職事件になります。
もうすごいことをやらかしてます。
田中彰治事件なんかが有名なんですが、詳しくはリンクを置いておくのでそちらを確認してください。
こんな事件があって選挙では得票数を減らしたりしたんですが、革新勢力の日本社会党から離党者が出たり、公明党や共産党が台頭してきたこともあって議席数はキープするような状況でした。
1970年代からの自民党の歴史
そんなこんながありながらも自民党は政権与党であり続けたわけですね。
1970年代になって特筆したいのは、田中角栄でしょう。
議員立法に命をかけた人で、日本列島改造論が有名ですね。
あとはロッキード事件でしょうか。
あと現代にも関係があるかもしれないのが、1979年の大平内閣における選挙ですね。
この時に大平内閣は一般消費税を公約として掲げ、過半数割れをするほど議席を減らしています。
これ以降、消費税はしばらく言われなくなるんですね。
要するに増税路線だと、選挙に負けるってことです。
1980年に入ると、中曽根内閣が誕生します。
私にとっては馴染みのある名前がようやく出てきた感じですね。
戦後政治の総決算と題して、行政改革なんかをやり始めます。
公社の民営化であったり規制緩和、民間活力の活用などといった、いわゆる新自由主義的な政策ですね。
この路線が今でも続いていると考えてください。
1987年に日本電信電話公社、日本専売公社、国鉄分割民営化といったことが実現しています。
今の名称でいうところのNTTとJTとJRですね。
ちょっとは身近な話題になってきました。
あと書いておきたいのは1988年ですね。
この時中曽根内閣から竹下内閣になっていたんですが、消費税法を含む税制改革法案を臨時国会で提出しています。
この法案が通ったことで、始まったのが消費税ですね。
他にもリクルート事件なんかも有名でしょう。
翌年の1989年に昭和天皇がお隠れになり、昭和から平成へと時代は移っていきます。
平成以後の自民党の歴史
平成3年のことですね。
佐川急便事件が起こります。
この事件をきっかけにして、自民党の長期政権は腐敗する。
なんて風潮が起こるんですね。
また党内のごたごたもあって、離党者が大勢出ます。
その結果平成5年に選挙が行われるんですが、自民党は過半数に届かず新しくできた保守新党が大勝するんですね。
そして生まれたのが細川護熙を首班とする連立政権です。
この時に初めて自民党が野党の立場になります。
平成になってからの特筆事項としては、バブル景気の終了と小泉純一郎ですね。
ざっくりと言うと好景気の終わりとともに、世界のあり方が少し変わったのですが、従来と変わらない政治を行ったために、大きな財政赤字を抱えることになったってことです。
当時はアメリカを中心とする西側諸国と、ソ連を中心とする東側諸国による冷戦というものがあったんですね。
冷戦とは実際に戦争をするんじゃなくて、スポーツや技術開発、経済、外交なんかでピリピリしながらやっていくような感じだと考えてください。
民主主義VS社会主義みたいな感じだったんですが、これがソ連の崩壊とともに終結します。
ここで1つ書いておきたいのは、自民党は結党前からアメリカの資金援助を受けていたという点です。
アメリカとしては日本社会党のような革新勢力に勝って欲しくなかったため、CIAが自民党に資金を融通していた事実があります。
ただしアメリカ政府はこの事実を認めているのですが、自民党は公式に認めていません。
英語の記事ですが、一応リンクを貼っておきますね。
この冷戦の終結がきっかけになって、世界はグローバル化していくわけですね。
要するに世界全体が市場だって感じです。
こうした流れに日本は乗れなかったんですね。
で財政赤字が膨らんでいったので、聖域なき構造改革をしようってスローガンで出てきたのが小泉純一郎です。
小泉進次郎のお父さんになります。
ものすごく簡単に言うと、政府がお金を出すのをやめようぜって言う主張をしたんですね。
で政府の持つ権限を地方自治体や民間に移譲しようぜってことで、ぶちあげたのが郵政民営化になります。
痛みに耐えてがんばろう、とか言ってた人です。
まさかこの痛みがずっと続くとは思ってなかった人も多いんじゃないでしょうか?
ちなみに小泉純一郎はとっても人気がありました。
X JAPANのForever Loveが好きだとかなんとか色々ありましたね。
この小泉純一郎の後を継いだのが安倍晋三です。
いわゆる第一次安倍内閣の誕生ですね。
この政権の時は年金問題や閣僚のスキャンダルなんかがあって、あんまり長持ちしませんでした。
そして参議院の選挙において、民主党に惨敗したことで自民党は第一党から落ちてしまうんですね。
ここでできたのがねじれ国会というやつです。
衆議院と参議院では過半数を占める政党が異なるので、なかなか政策が進んでいかないという状態を指します。
そして2009年の衆議院選挙において、民主党が大勝するんですね。
ここで2回目となる野党落ちをします。
その後ふたたび安倍晋三が総裁に選出されます。
そして民主党政権から第一党を取り返すのですが、あまり褒められたやり方をしなかったのも事実です。
それでも議席数を維持しているのが現状になります。
歴史を振り返って
さて自民党の歴史をざっくり振り返ってみました。
ほぼ日本の政権与党であっただけに、日本の政治の歴史そのものであると考えても良いでしょう。
個人的な意見ですが、今も地方などの高齢者は自民党に投票をすることが多いのですが、これは良かった時の感覚がそのまま残っているのではないかな、と考えてしまいます。
ですが歴史を振り返ると分かるのですが、1980年代の中曽根内閣のあたりから、既に現在に通じる新自由主義的な政策を打ち出しています。
つまり政府の機能を小さくして、支出を減らそうという方針ですね。
それが加速したのが小泉純一郎の時でした。
この路線が今も続いているといった感じです。
つまり国民所得倍増計画だーなんて言っていた時代とは、やっていることが大きく変わっているんですね。
それでも昔と同じように投票する人がいるというのが、現状を作っているのかもしれません。
最後に
お疲れ様でした。
ざっくりとした自民党の歴史を書いてみました。
思ったよりも長くなったので、いったんここで切ります。
歴史については、ほぼ日本の政治の歴史であったと言ってもいいでしょう。
そのくらいずっと一線にいる政党です。
次回はもう少し別の視点で、自民党について解説してみますね。
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