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文章と私 from:4児ママライター
かれこれ10年以上ライターという仕事をしている私ですが、実は幼稚園から小学校低学年までは身体を動かして遊ぶほうが好きな子どもでした。
しかし、そんな私がライターという職業を選び、続けていることは「もしかしたら必然だったのかもしれない」と最近は考えています。
そこで今回は「文章と私」というテーマで、少しだけ過去を振り返ってみました。
この記事を通じて、少しでも私のことを知っていただけたり、ライターやフリーランスとして働いてみたい方の参考になったりすれば、とても嬉しいです。
読むこととの出会い
私が「読書」に目覚めたのは、小学校高学年のときです。
当時、私には憧れの同級生がいました。
少し年の離れたお姉さんとお兄さんがいる子で、どこか大人びた雰囲気をまとう仕草や行動に惹かれていたのです。
「仲良くなりたい、近づきたい!」の一心で、私は積極的に放課後や休日に遊びの約束を取り付けました。
遊ぶときは基本的には屋外でしたが、急に天候が崩れた日がありました。
詳しい経緯は忘れてしまいましたが、結果として、その子のお宅にお邪魔させてもらいます。
そして、そのときに出会ってしまいました。
『フォーチュンクエスト』
『スレイヤーズ』
私が本の虫に取り憑かれるキッカケになった、2つの作品です。
書くこととの出会い
ちょうど時を同じくして、私の自室には母からお下がりしたデスクトップパソコンが置かれました。
当初はインターネット回線には繋がっていません。
今どきの感覚だと「ネットの繋がっていないパソコンなんてただの置物じゃないか」なんて言われてしまいそうですが、当時の私にはお宝でした。
ソリティアはクラスでいちばん上手になるほどやり込みましたし、ペイントで描いたイラストをデスクトップ背景に設定してみるなど、それなりに使い込んだ懐かしい思い出です。
そして、オフラインでも使えるソフト類の1つには、今で言う『マイクロソフトOffice』もありました。
エクセルでお小遣い帳をつける等もしましたが、いちばんハマったのは”ワードを使ってキーボード打ちの文章を書くこと”だったのです。
“創作”の壁
ファンタジー小説を好んで読んでいたので、当然のように自身も創作冒険の小説を書こうと挑戦します。
ところが、書いても書いても「好きな作品の模倣」にしかなりません。
“真似して学ぶ”ということを知らない子どもだったので、模倣は自分自身が許せませんでした。
なので、次第にストーリーは展開を止め、文字も進まなくなります。
当時の自分に言葉をかけられるなら「それでもいいんだよ」と伝えてあげたいのですが、それは叶わぬ願望ですね。
「日記を書いてみたら?」
“書きたいけど書けない”状態を繰り返しているうちに、母から「日記を書いてみたら?」と提案をされました。
これが、私にはドハマりしたのです。
日記は創作とは異なり、実際に自分が経験したことを書けばいいので“オリジナリティ”は求められません。
小難しいプロットを練らなくても、アクシデントやオチも出揃っています。
さらに古い記憶を掘り起こしてみると、私は小学校1,2年生のときに出された『作文』の宿題が大好きでした。
家族で遊園地に行って楽しかった思い出や、家の手伝いを頑張ったエピソードなど、題材選びから書くことまで、毎回楽しんでいたのです。
年度末には担任の先生から『作文じょうずで賞』をもらい、一人ひとりの1年分の作文を綴った文集はクラスでいちばん分厚い仕上がりになりました。
オンラインでの発信へ
さて、時系列を戻します。
歳を重ねて中高生になってからも、パソコンで文章を書くことは当たり前のように継続していました。
文章を書く媒体は、オフラインからネット上へと徐々に移ります。
mixiやHTMLタグで作った個人サイトに載せることが多かったです。
学生のうちはサブカル系の内容がほとんどでした。
高校を卒業するくらいのタイミングで編み物に出会い、発信する情報はハンドメイド系へとシフトしていきます。
作った作品を紹介したり、進捗を報告したり。毛糸や編み物の本について語る内容もありました。
その後、早々と結婚をして年子を出産し、育児に追われながらもブログは細々と更新し続けます。
webライターとの出会い
そんなある日『ブログ記事で製品紹介をすると報酬がもらえる』というシステムと出会います。
少し前で言うところの“ステマ”
最近は“案件”や“PR”と呼ばれるものです。
(売上の成果がなくても報酬がもらえたので、アフィリエイトとは異なります)
子育ての合間に趣味のブログ更新を兼ねて、いい感じの宣伝文を書く。
この作業が、私にはとても楽しく感じられました。
他の人が運営するブログやサイトへ掲載するための文章を作成して対価をもらう“お小遣いサイト”にも出会い、しばらく活動します。
その後、アメリカ発の「クラウドソーシング」という仕組みを知り、サービスを開始して間もなかった『クラウドワークス』でwebライターを名乗るようになったのです。
子育てとの相性が良かった
いまは保育施設が充実し、子どもが小さいうちから働くお母さんも珍しくありませんよね。
しかし、ほんの十数年前は、物理的にも世相的にも狭き門だったのです。
「保育園に子ども達を預けてパートに出るのは可哀想」
「数年だけなんだから我慢しなよ」
そんなことが当たり前に言われていたので、なかなか外で働くという選択肢は選びづらいものでした。
ところが、webライターなら自宅だけで作業を完結できます。
子どもたちのお昼寝タイムや、夜の寝かしつけが終わった後の時間などを有効活用できたのです。
もちろん、始めたばかりの頃は時給換算すると最低賃金を下回る仕事しかない時期もありました。
それでも、通勤に時間を割いたり、保育料を払ったりする必要が無いというメリットは大きかったんです。
自分の裁量で請ける仕事の量やスケジュールを調整できる点も私には合っていました。
幼稚園の行事が平日にあったり、急に体調を崩して看病が必要になったりしても、誰かにお願いして休ませてもらう必要はありません。
現在もwebライターが主軸
実際に子育てをしてみると、子どもが小学生になっても大人のペースで働くことはまだまだ難しいと痛感しています。
我が家は子どもが4人いるため子育て期間が長く、習い事や行事などの頻度が多いことも関係しているかもしれません。
AIの発達などでwebライターという仕事の在り方も少しずつ変化していく予感と実感はありますが、これからも「私だから書ける文章」を武器にしながらライターという仕事を続けていきたいと考えています。
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