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愛はコンビニでも買えるけれどもう少し探そうよ

頂きだのおぢだの貢ぐだの、そういうニュースが目につく今日この頃、お金とは何だろう?とよく考える。

お金は便利さや快適さを引き換えられるチケットのようなものかなあと思う。

モノが手に入るのはもちろん、「めんどくさい」「満たされない」「大変」とかいう、生きる上で大変厄介な部分を、お金の力があれば、ある程度スキップできる。
という意味で私はお金はそこにこそ価値があると思ってる。
「めんどくさい」「大変」をお金で買ったら、きっとその分、時間や心に余裕ができる。はず。
(キャンプ等、めんどくささを金で買う趣味もある)

さらにいうと、ある程度努力したり恥をかいたり失敗したりして積み重ねなきゃいけない部分も、お金のパワーである程度飛び級できる。気がしてる。
それは「人間関係」と「自己肯定」。

今話題のいわゆる「おぢ」は、可哀想な境遇にある可愛い質素な女の子、金目当てでないし、がんばりやなのに、弱い面を俺にだけ見せてくれた、そんな子を俺が救ったる!的な感じの性格の人たちらしい。
単にモテないだけの、とても心優しい「ギバー」のように思える。

だけど実際は自分をよくする努力や、相手を深く知るための面倒な各種作業、絆や信頼形成などなど、ダルい部分を金パワーでスキップしているに過ぎない。あとあわよくば若い子と…みたいな下心も。

本当の意味では自分を満たすのは自分しかいないけれど、私はやっぱり人間はひとりでは生きてゆけないし、人間とは愛の生き物だと思ってる。

存在を認められること、役に立てること、分かち合うこと。
恋愛に限らずいろんな愛の形があって、人はそれを喜びとする生き物なのじゃないかな。

でもみんな違う人間だから理解できない相手もいるし、愛を作り出すには長い長い時間と、すれ違いや衝突も多々あるし、必ずしもいいことばかりではない。
つらいめんどくさいことも、傷つくこともある。

そして、「おぢ」達はそこを頑張らないできた、だからこそ「おぢ」なのだろう。

確かに金で人間のめんどくささはある程度スキップできるし、簡単にコミュニティに属せるし、何か一体感を感じた気になるし、何もしなくてもなんか何者かになれる。気もする。
でも最終、きちんと自分を愛し他人を愛すとかいうめんどくさい上にちょい難しい過程をたどらないかぎり、一生金を払い続けてにせものの愛のコミュニティっぽいなにかに属する羽目になる。
つまりカモになり続けるってこと。

ハゲの薬はたしかに毛がフサフサするらしいけど、やめると一気にハゲるから一生続けなければいけないらしい。まさにそれ。
実際にはもうとっくにハゲているのに。

私はひとりが好きだし群れるの嫌いだし、他人とずっといたら気が狂うけど、それでも家族がいてくれたり、𝕏友がいてくれたり職場があったり、そんな人たちに物凄く助けてもらってる。逆に、何か役に立てたり私の個性が好きだと言ってもらえると本当に嬉しい。

もし、もし、与え合える人びとが誰もいなかったら、いなくなったら……
かなりきついだろうなと思う。
これから歳をとるし、気力も体力も減っていくだろう。
そういう時に、お金を出せば、お金さえあれば、「それ」に近いものが、手軽にすぐまた戻ってくると思ったら、喜んで買ってしまう気がする。
おぢ、明日は我が身である。

愛はtemuでも買えるけれど、もう少し探そうね。(令和最新版)


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