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でかいショッピングモール

今日はヤボ用でレイ〇タウン(という名のクソデカいイオンモール)に行った。
用事が済んだらすぐ去ったけど、土曜だからめちゃくちゃ混んでた。
もうね、バカかと。アホかと。

駐車場もめちゃくちゃ混んでて遠いところに停めるしかなくて、モールの中をかなりの距離歩く羽目になった。クソデカイオンは縦に長いのだ、、、

モクモクスタスタ歩きながら思う。
こんなに人がいるのに、みんな家族や友だちとワイワイ楽しそうに来ているのに、私はひとりぼっち。一緒に来る人もいないし、今日だれとも喋ってない。
逆にこんだけ人がいてひとりも知り合い居ないって状況ウケる。孤独すぎわろた。

200人くらいの人間関係(つて)を漁れば、必ず誰かしらは自分とつながってる・知ってるとか聞いたことがあるけど本当かな?
この中の誰とも知り合いな気はしないし、これからも知り合わないのだろう。
そして休日にわいわいショッピングモールをenjoyしている人々も、ぼっちの中年など存在すら認知しないのだろう。ぐすん。

だけどそんなレイ〇タウンよりもクソデカいインターネットの海で偶然知り合って繋がれるって、それこそ目の見えない亀が10億年ぶりだかに水面に浮上してきた時たまたまそこに浮いてた流木にたまたま穴が空いていて
たまたまそこに亀が首を突っ込む確率と同じくらいすごい奇跡じゃないだろうか。
(たまだの亀だのやかましいけど、盲亀浮木というちゃんと実在する喩え話?です)

リプとか会話程度ならまだしも、会うほどの知り合いになれる確率ってめちゃ低いよなあって思う。だから出会いや人とのつながりは大事にしましょうなんて何千回も言われることだけど、群れたくないし気の合わない人だっているのだけどね。

良くも悪くも、繋がれるってことはある程度自分と文化が近い存在ではあるのだろう。

それに逆に言えばこんだけ人がいても、リアルでいくら同じ場所にいたとしても、文化がちがければ多分会話する機会すらないし、こんだけ世の中に人が多ければ文化の近い人なんかいくらでもいる。はず。

だから、出会いを大切にするべきだしそんなに大切にするべきでもない。
だって人間なんか死ぬほどいるんだし。
他人はみんなモブだけど、誰かの大切な人だったり、私自体もみんなにとってはモブだけどちゃんと存在してる。多分存在してる。
けど全てを認知することはできないし、全員と知り合いになることはできないし、認知できる範囲でしかひとは生きてゆけないのだよね。

だからショッピングモールでひとりぼっちだからといってなんも悪いことはないのだ。
あんな、どこに行っても同じ風景と同じ店ばっかの俗っぽい場所で感じるインスタントな孤独に振り回されてたらあきまへんで!

とかとか、そういうことを考えたりして意識が外に広がりがちだから、クソデカいショッピングモールとか人の多いところは苦手。

気が散りすぎて駐車した場所を忘れてしまい、カンカン照りの屋上を20分くらい歩いて干からびて死ぬかと思いました。生きてます。


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