コロナ禍で色を失った私が今、人生を謳歌できているワケ

こんちゃっす!まなてぃです✌
この笑顔が百点なのが私(笑)
笑顔は誰にも負けません!!ツボも驚くほど浅い!!!!

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初投稿ということで!
「まなてぃって誰やねん」という疑問を解消するべく、簡単な自分史を作成してみたいと思います!!!!ぴーすぴーす

名前:武本真奈
出身:愛知県
大学:南山大学外国語学部英米学科3回生
好きなこと:お笑い、ドライブ(ミッション乗ってます✌️)、お酒

「自分史」

私の家族はみんな愉快で、新喜劇のような毎日を送ってます。母が天然過ぎるので基本的に会話は成立しない🤣

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全盛期。幼い頃から人見知りを一切しない、常に笑っていたため、沢山の人に囲まれて育ちました。人に恵まれてます!!!みんなありがとう!!!!!!

今はとっても楽しいけど、他人に誇れるような人生を送っていません。
というのを踏まえてご高覧ください。


「不遇」

中学が地元では飛んだヤンキー校という、前世に何かしましたか!?ってくらい恵まれなかった。否が応でも通わないと行けなかったけど、生活するには絶対に適してない環境だった。みなさんはバイクが廊下を走るとか壁が穴だらけとか見たことありますか?

私がそこで学んだのは空気を読むことと我慢をすること。
おかげで手にいれた平和で平凡な学生生活。もちろん学びもたくさんありました。
でも自分を押し殺しているから全然楽しくない!!!!!!

「逸出」

父の海外勤務のおかげで無事、私は最悪な環境から脱することができました。
しかし、転校したのは中学3年生で受験期真っ只中。
本来なら転校なんかしてる場合じゃない!!!!!
新しい中学は、転校が平俗な学校だったので、楽しく学校生活を送ることができました。クラスメイトだけではなく、担任の先生、他にも複数の先生からずっと前からいたみたいと言われるほどに馴染むことができました。有難きお言葉!!!!!

「有頂天とディスカバリー」

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私の家はめちゃめちゃ大きくて、400平米以上あったし、自分の部屋にはシングルベッドが2つあった。バルコニー、プール、サウナ、ジム、専属ドライバー、ハウスキーパーさん、、普通の家庭だけど、海外やとお金持ちごっこができました。新しいものばかりで毎日がワクワク!!!楽しかった!!!!

でも衝撃を受けることもあって。例えば

貧富の差

横断歩道に座って、みすぼらしい恰好でお金をくださいと見つめてくる老人、ついてくる子供。日本では絶対に見ることはないですよね。

すごく心を打たれました。

何か私にもできることがないかと考えた14歳の夏、首都でボランティア活動をはじめました。自分が使わなくなったものを物資として渡すこと、植林、募金、開拓、沢山のことを経験しました。
また、英語も日本語も通じない現地人とのコミュニケーションの面白さにも気づかされ、今異文化コミュニケーション(異なる文化を持った人々がお互いを理解し、ギャップを埋めて共感しすること)と、表現法(例えば、大統領演説がなぜ人々を魅了するのか?)を主に専攻しています。

みんな笑顔で感謝してくれた。ありがとうと言われたときとっても嬉しくて、ありがとうの精神って大事だなと思いました。そして、人の役にたつことの嬉しさと達成感、それと同時に承認欲求が満たされて「こういうことが好きだ」と思いました。夢中になれるものを見つけてくれた海外移住に感謝!!!ありがとう!!!!!

今も変わらず人の役にたつことがすごく好きです。将来も自分が与えたキッカケや変化によって喜ぶ人たちの顔をみたいし、目で見える形で成果がわかることを仕事にしたいと考えています。メンターも私の好きなことかなと思います。

「選択ミスから学んだもの」

好きな子と同じ高校に進学をしたい、という浅はかな理由でインターナショナルスクールに進学を決めました。

課外活動では水泳部に入部。ベトナムとカンボジアで行われた大会の高校部門では4度メダルもいただきました。他にもサッカー、バレーと3つ部活を兼部していました。普段怖いと思っていた人がそうではないという新しい気づき、本気でやることがダサいと思っていた私の考え方が変わりました。

常に全力で!!!!!

殻が完全に破れ、プライドや羞恥心が消滅しました👏

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そして勉強面。人並に英語はできましたが、インターは次元が違いました。日本では無縁だったパーティーやクラブに行ったり、馬が合う友達と出会えてとても楽しかったです。
一方で大学進学のためアメリカ版センター試験の対策として嫌いになるほど英語の勉強を強いられました。完全に舐めてた。

海外ドラマのような生活はいずこ???

ノンネイティブの私に余裕でネイティブレベルのHWを課してくるんです。課題の難易度だけではなく量も半端じゃない!!!!!!!今出ている大学の課題の量は比にならないくらい。もちろん終わるワケがなく、留学でもなければ特別扱いもされないので、一日の睡眠時間は2時間。

当時の私はどうしても日本の大学に行きたかったので、並行してセンター試験の勉強を独学ではじめました。英語は勉強しなくてもセンターは1ミスとかだったし、日本人=数学できるでしょ?というステレオタイプでレベルテストを省いてぶちこまれたハイレベルクラスのおかげで数学は余裕でした。2年のブランクを埋めるのは本当に大変だったけどね、(笑)

日本では通用する英語力を手にいれ、また、コミュ力おばけになって帰ってきたと地元の友達言われるほど、コミュニケーション能力に磨きがかかりました。これは自慢。私の唯一の武器。

「非凡と思われる私」

日本に帰ってきて思ったのは、消極的な人が多すぎるということ。passiveってすごく損してると思うんだよね、

一番最初の顔面白塗りの写真はハロウィンパーティーの際のもので、ほぼ全員に絶賛されました👏

集客は一人で行い、40人ほど集まりました。そして盛り上げたい一心で仮想が一番良かった人に私から実費で豪華景品を用意しました。それでもみんな仮想してこなかった、、、

「だって恥ずかしいし」

「景品ほしかったけど、みんな仮想しないって言ったから」

自分は自分、人は人!!!!みんなに伝えたい。自分の選択は自分でするべき!!!!!やりたいことも全部自分で決めるべき!!!!

チャンスを逃している人が沢山いると思う。プログラミングをはじめたくてもなんだか難しそう、できなさそうっていう理由で躊躇している人は絶対にいる。だから私はみんなを後押ししてあげたい。私でもできたんだもん。怖くないよ、大丈夫だよって。

「決断力」

私は転校を通して沢山の人と関わり、異文化コミュニケーションを通して自分とは異なる考え方や価値観を理解できました。よく、「行動力あるね、スゴイ」なんて言われますが、やらずに後悔は絶対にしたくないという私の思いがあるからだ思います。

為せば成る

大学に入ってから様々なことに挑戦しました。
ESSという大学で一番大きなサークルの代表、
名古屋のベンチャー企業と協力してのスタートアップ、
キャンパスコレクション企画局のディレクター、等

どれもすっごく楽しい!!!!

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今回のギークも、存在を知ってすぐ説明会に申し込んで、滑り込みで入会しました。勢いで決めるくらいコンテンツに魅力を感じたし、本当に入ってよかったなと思っています。

「真面目なお話」

プログラミングは私の中で苦手なジャンルです。でも苦手だからこそ挑戦したかった。やってみないとわからない。一人だったらできなかったけど、受講生のみんなとお話ししたり、メンターさんたちの丁寧な対応のおかげで苦手なことが好きになれました。

できないことができるようになることの楽しさ

これはプログラミングを通して私が得たものです。苦手なことが克服できたり、新しいスキルが身に着ければ、自信に繋がると思います。
そしてプログラミングは自分の可能性を広げる一種の手段だと思います。学んで損はない!!!!コロナで色を失った私が、何か新しいことをしたいと悩んでいた私に素敵なキッカケを与えてくれたコミュニティで今度は教える立場になりたい、人の役にたちたいと思いました。自分にはできないと思っていたプログラミングでサイトを一から作れた時の喜び、リリースできた時の達成感は今でも忘れない。みんなにも経験してほしい!!!!

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ギークのお陰で虹色になれました!!!ありがとう!!!!

まなてぃ



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