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計画力と柔軟性もたぶん独立ではない件

私たちが完璧に将来を予見できない以上、完全な計画というものもない。さらにある時点での予想がうまくいったとしても、状況は刻々と変わりうる。その状況下でなぜ計画を作るのかといえば、取り組むべき複雑な現象を処理する手順をいったん明確にするためです。計画が予想していた未来が50%正確であった、ということよりも、75%,正確であった、ということのほうが優れているとは単純に言えません。事態が変わっていくなら計画をそれに合わせて修正すればいいからです。

ではやはり計画を立てることは無意味ではないか、と思うかもしれません。しかし、最初に思っていた計画が食い違う、つまり、計画の前提=仮説が異なっていたか、変わったということは、非常に素晴らしい示唆をもたらします。計画がその通りいかなかったことで、世界についての情報が実質的に増加したのです。これは計画を立てなければ得られなかったことです。

何らかの規範があり、硬直的に従うのではなく、現実に適応するように動くから、その動きは柔軟だと称賛されます。ルールがないところで好き勝手にやることを柔軟だとは呼びません。ですから、柔軟性の根っこには守るべき規範や予算や計画があります。

また、現実と計画が乖離しているのに、目の前で起きていることのフィードバックを無視して進めることを計画的と称賛するでしょうか。一旦決めたことは変えないというのは、状況次第で悪です。少なくとも現実的な計画性には柔軟さが織り込まれているでしょう。

そして、柔軟性と計画性のどちらに触れるべきかはそれ自体が問題解決の対象です。これはどちらの立場を取るかという問題でないことは明らかでしょう。

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