あなたにとって、遊びは水?ごはん?それともスイーツ?
こんにちは!
狛江市で放課後の子どもの居場所づくり活動をしている「まなびや」の宮田です。
昨日は、狛江市で子どもに関する活動をしている市民団体の勉強会兼交流会を実施しました。
そちらに、TOKYO PLAYの方を講師としてお呼びし、子どもの権利に関するお話をしていただいたのですが、その中で、こんな問いがありました。
「子どもの頃のあなたにとって、遊びは水?ごはん?食べ物に例えてみよう」とのこと。
遊びがどんな存在だったか、ということですね。
たとえば、「生きるのに欠かせない、毎日いつでも飲める水のような存在だった」とか。みなさんはどうでしょうか?
「遊びはケーキ」と答える人が増えているそう
ちなみに、わたしは最初は、「ケーキ」だと思いました。それか、ケーキまで高級な感じではないけれど、なにかスイーツ的なものだった気がする、と。
というのも、遊びってちょっとわたしにとっては特別なものだったり、時間を決めてするものだったりした印象があるのです(小学校3年~6年くらいまでは)。
もっと幼い頃はあまり記憶が鮮明ではないので、おそらくもう少し遊びが当たり前だったとは思いますが、小学生の頃は勉強もあったし、ピアノの習い事もあったのでいつまでも遊んでいられるわけではなくて。
そんなことを思ったのですが、
周りの人たちの意見を聞いていて、結構びっくり。
「自然の中でいっぱい遊んでいたし、身近なものだったから、野菜かなあ」
「ごはんくらい当たり前なものだったなあ」
「ケーキって感じはしないよなあ」
と。
子どもにとって、遊びって生きることと同じくらい大事なもの。
だけど、勉強や習い事によって遊ぶ時間が制限され、なにかのご褒美のように遊ぶ時間が設定されていたり、忙しくて遊ぶ時間がほとんどないから遊べるのは特別なことだと感じている子や若い人は、今増えているそうです。
子どもの幸福度と「遊び」の相関関係
その結果、なにが起こっているか。
子どもが「自分自身は幸せである」と感じる幸福度ランキング、そして子どもの自殺率ランキングではOECD加盟国38か国中37位。
学力ランキングは5位だけど、社会的スキル(「すぐに友達ができるか」などの非認知的な能力)は27位という結果に。
精神疾患率も年々上がっている。
そこに、「子どもの遊ぶ機会の減少」が関係しているのではないか、との調査結果が出ているのです。(実際、外でたくさん遊んだ子どもはより幸福度を感じやすいという結果が海外でも出ているそう。)
「遊ぶことはごはんや水と同じくらい、欠かせないもの」であった時期から、
「遊ぶことはスイーツ的な特別なもの」になっているこの時代。
わたしたち大人がつくってきたこの時代をどう捉えるのか。
あなたはどう考えますか?
※参考資料
「子どもが豊かに育つ社会のための緊急政策提言」
manifest_20230410.pdf (tokyoplay.jp)