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デジタル時代、「文字をきれいにかくひつようはあるの?」の答えは

小6の下の娘は、文字に個性がある。
お世辞にも綺麗とは言い難い。
そして何より「文字を綺麗に書く」必要性を感じていない様子だ。

以前から「いつも綺麗に書こうと思って書いていれば、綺麗に書けるようになるよ」と伝えていたが、これがなかなか・・・思うように成長していない気がする。上の娘は綺麗に書けるようになったのに。

ここで強硬手段。「硬筆を習ったほうがいいかもしれないね」と言ってみた。
すると、
「え?そんなに汚い?」
「いつも丁寧に書いてるよ」
と言う。
さらには、
「これからの時代、文字を書くことはどんどん減っていくのに、綺麗に書く必要ってあるの?」
ときた。

これには私もうーんと唸ってしまった。

文字を綺麗に書く意味って何だろう。
伝わりやすさ?見て気持ちがいいから?きちんとした人という印象があるから?
私自身は「女の子は字が綺麗でないといかん」という価値観で育ってきたが、それを伝えようにも、ジェンダー問題に注目が集まっている今、「女の子だから」「男の子だから」というのは我が家では通用しない。
そんな事を言ったら子どもたちから総突っ込みされる。

うまい言葉が出てこないので、ググってみた。
すると、「汚い字はだらしない印象がある」など、子どもに言うには押しの弱い内容が出てきた。
それだけで人の価値は計れない。字が汚くったって、きちんとした人は居る。
その上「綺麗な字を書こうとする時間は、試験やテストではロスになる」という意見まで出てきた。
なるほどなるほど。
うーん。
・・・詰んだ。

ここで、これからの時代に「文字を書く場面」とはどんな時だろうと想像してみた。
ノートやメモは、自分が見るだけだから、自分が読める字であればいいかもしれない。
でも、いざという時って、きっとあるよなあ。

例えば、以前から「緊張の塊」時間であるご祝儀袋の名前書き。芳名帳。お礼状。
「書くからこそ喜ばれる」場面って、デジタル化が進むからこそ重要になってくる気がする。
今現在も、手書きのハガキは「特別なもの」という印象ではないか。

文字を書くという行為は、減っていくからこそ「ああ、わざわざ書いてくれたのね」という、喜びを生む行為になっていくのではないか。
ちょっと大げさではあるかもしれないが、いざ、自分の想いを伝える時に使うツールのひとつとして、「文字を書く」ということが残っていくのかもしれない。

そう考えると、やはり文字は綺麗なほうが良いと思う。

こう伝えると、妙に納得した様子で、「綺麗に書けるように頑張る」と言う娘でした。
めでたしめでたし。

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