数えない数学
全国障害児学級・学校学習交流集会の2日目(1月8日)「てんこ盛り講座④ 「教科」につながる力を育てる指導 ~ことば・かずの土台になるもの~」で櫻井宏明が話したことの一部をまとめたものです。
11月に開催した学びのわプロジェクトの学習会でも特別支援学校で「『教科』で指導しなさい」という圧力が強まっていて、困っているという意見が出されました。そうしたことに対して、私たちは実践を対峙させた批判をしなければと考えています。
昨年、NHK総合で、パンサーの尾形が出演する真面目な教養番組で「笑わない数学」というのがありました。そこで、タイトルを「数えない数学」としてみました。
(1)はじめに
いま特別支援学校では、障害の重い子についても「教科で指導しなさい」といわれて、現場の先生たちは困惑しています。発達段階が4歳くらい(2次元可逆操作獲得)であれば、例えばそれまで「ことば・かず」と呼んでいたものを、「国語・算数」に変えることで、対応することも可能でしょう。しかし、「それ以前の発達年齢の子どもたちの『国語』『「算数』はどうしたらいいの?」と多くの先生たちが困っています。
視点を変えて、教科の枠にとらわれないで、学習指導要領から自由になって考えてみるのはどうでしょう。
そうはいっても、真正面から学習指導要領を批判するだけで授業づくりはできないので、対峙する実践を示すことが必要です。
(2)発達年齢2歳から3歳の子どもたち
いろいろな教科の中でも抽象度の高い学問である数学は難しいものです。たとえば数学教育協議会(数教協)は、教科のもととなる原数学の基本的概念として形と色といっています。しかし、その前の発達段階(発達年齢2歳から3歳)の子どもたちにとって、抽象度が高い色や形の理解は難しいです。
この段階の発達的特徴として、「大きい-小さい」の対概念から中間の概念が育ってくるといわれています。「大小」「色や形」などは“数学っぽい”ので、ついつい教科の形式的な枠組みをなぞって「大きさ比べ」や「仲間あつめ」などの授業を考えがちです。しかし、果たしてそうした活動を繰り返すことで、基本的概念や中間の概念は育つことになるのでしょうか。また、ともすると、人との関係や集団と切り離して個人の思考や操作の能力の向上を考えがちですが、発達課題を考えると両者は分かちがたく、切り離すことができないものです。
この発達段階の子どもたちは、具体的体験やそこで身につける知識をもとに、帰納的に概念や法則を学びます。当然、豊かな経験は必要ですが、経験主義でいいというわけではありません。板倉聖宣(きよのぶ)は、「私たちの身の回りの事物に関する法則は大変雑多で、専門の自然科学者でもこれを解き明かすことは極めて難しいものである。そのような問題について子どもたち自身に調査・研究させるとなれば、教師はよほどその問題についての研究を積み重ねなければならない。子どもたちの側からしても、そんなことについて自分で実験・観察して、そこから導き出すということはできることではない」と主張し、仮説実験授業という形で、科学上の最も基礎的な概念や原理・原則を教えることを意図した授業を提唱しました。
かつて私たちは、「どの子にも教科学習を」というスローガンを掲げ、「『子どもの認識能力や技術能力などの諸能力を高めるために、人類と民族の文化遺産や科学・芸術の今日的達成を子どもの発達段階に応じて最も効果的に習得させるよう系統的に組織したもの』が学校教育における『教科』であるならば、どんな障害が重い子の教育にも『教科』を設定することができるはずです」と主張してきました。
ここでいう「教科」は理科や算数・数学、国語という枠組みだけではありません。教育の目標を適応主義としない、教育の方法を訓練主義や経験主義にしないために、「教科」の概念を拡大して、そのもとのもとになっている「思考力」や「認識」について授業として組織できるのではないかということです。
この発達段階の子どもたちの授業づくりを子どもの発達課題や生活実態と向き合って考えてみましょう。
(3)「数えない数学(算数)」 ボウリングの授業
ボウリングの授業というと、倒したピンの本数を数えたり、友だちと比べたりすることなどの「数学(算数)」と考えがちです。
これを、「子どもたちが投球の順番を決めること」「友だち同士でボールの受け渡しをすること」を大切にして授業してみました。(櫻井宏明(2005)肢体不自由の子どもたちとつくる教育 第5回 意欲を高める集団と活動,みんなのねがい458)
「この授業は何の教科?」と問われたら、ボウリングと結びつけやすいので「算数・数学」といってもいいのですが、無理に「教科」としなくてもいいかもしれません。
それでは、肢体不自由学校高等部の生徒たちのボーリングの授業を紹介します。
1)授業準備
ボールを転がすレーン(正確にはレーンへ投球をガイドする装置)は組み立て式で、教室から直接見ることができない教材室にしまってあります。これにも意図があります。見えないものを思い浮かべて、準備する中で生徒自身が「〜したら〜できる」という「見通し」を育てる学習と考えているからです。
もちろん、「やりたくない」生徒には強制はしませんが、用具の準備や片付けを生徒と一緒に行うことも大切な学習です。
2)授業のリーダー(進行役)を選ぶ
その授業のリーダー(進行役)を選びます。リーダーは投球の順番を決め、その順に投球を指示するなど、ゲームを進行します。
「やりたい人?」とたずねて、意思表示する人がリーダーになりますが、固定化しないようにします。ときには「(リーダーを)やりたくない人?」と聞いてみることもあります。
面白いもので、何でも一番にやりたがりの生徒でも、リーダーになると投球順は「自分から」とはならなず、友だちから指名するのです。
3)投球の順番や順序
教師の支援を受けて、リーダーは投球の順番を知らせる役割も担い、ゲーム進行を仕切ります。
生徒は投球順に並ぶようにしています。時間的順序を空間的順序性として理解できるからです。生徒たちは友だちとの関係で「◯◯さんの次が自分」「自分の次が◯◯さん」というように、投球の順序・順番を意識します。
前年度には自分の位置に戻ることができなかった生徒が、次の年度になると自分の席に戻って、友だちの投球にも注目できるようになっていました。「毎年、同じ活動を繰り返するのか」という意見もありましたが、繰り返すことで生徒の成長を実感することができたエピソードです。
4)投球とゲームのルール(スコア)
生徒はできるだけ自分自身で投球場所まで移動し、レーンにボールを置いて転がします。投球が終わったら、活動を切らさずに投球順に並ぶ自分の席まで戻ります。せかさず、生徒の活動を大切にしますが、必要に応じて教師が声をかけるなどの「支え」をいれることもあります。
ピンは6本、スコアは本物のポウリングと同じようにつけます。
倒れたピンの本数を生徒と一緒に数えたりはしません。数量や数詞の理解は授業のねらいではなく、生徒に数えさせたり、数唱させたりすることはありません。したがって、ピンの本数はいくつでもいいのです。ここでは6本としましたが、扱いやすいように3本でもいいでしょう。
スコアは本物と同じように教師がつけました。ゲームの勝敗は、それほど生徒たちのモチベーションになっていないので、勝敗にもこだわることないのですが、高等部ということもあるので、本物のボウリングのルールを取り入れて、社会的価値とのつながりを意識しました。
いずれにしても、数字やスコアは、「算数・数学」のアリバイ程度の位置づけでしょうか。
5)友だちにボールを運んで渡す(友だちとの調整)
ゲームの中での学習として大切にしていることは、友だちとのかかわり(調整する力)を育てることです。投球する生徒に他の生徒がボールを運んでいって生徒同士で受け渡しをします。友だちが差し出したボールに合わせて、受け取る側が手の位置を調整することが大切な学習です。「相手の意図を理解して、自分の気持ちを調整する」基礎となると考えたからです。
ボウリング場から譲り受けた不要になった本物のピンやボールもありましたがあえて使わず、できるだけ生徒同士で受け渡しができるように、バレーボールを使い、ピンもそれで倒れるペットボトルにしました。
相手の意図を理解し、簡単な大人の指示は理解できますが、子ども同士の「会話」となると難しい生徒たちです。そこで、コミュニケーションを円滑にするためにボールの受け渡しのときに「どうぞ」「ありがとう」といった決まった台詞を添えることにしました。
「◯◯しながら◯◯する」と2つの行動をまとめ上げることができるようになる子どもたちです。車椅子(電動もふくめて)や歩行器を使って、室内の短い距離であれば自分で移動が可能な生徒たちなので、ボールを運ぶことも大切にしています。ボールを落とさないように調整しながら車いすを操作するのです。膝の上にボールを置くと不安定な生徒には、膝とボールの間にハンドタオルを置いてボールが落ちないような工夫をしました。
時間がかかってゲームの途中で予定よりも投球フレームを少なくすることもありますが、せかさず、生徒の活動を大切にします。
(4)指導形態という視点からの「教科」
教科を指導形態という視点で考えてみましょう。教科指導というのは「日常生活からの相対的に独立した時間と空間で、特別に用意された教材を使って学習を組織すること」ということができます。
しかし、障害の重い子、発達の初期段階の子どもたちには、日常生活とは相対的に独立した時間と空間でなくても、特別に設定された教材でなくても、授業は成立しています。自然現象や日常生活そのものを教具にして教師が意図的に伝えたいものを焦点化することで、教師に導かれて子どもはそれまで日常の風景で目を向けなかったものにも注意を向け、興味を持つようになります。「子どもの認識の枠組みが変わる」のです。
文学作品や抽象度の高い数字の操作ばかりが「文化」ではなく、日常の生活や自然の中にも学習者の発達と生活の実態にあった文化はあるのではないでしょうか。
(5)「教科」につながる力を育てる
学習指導要領の「教科」の枠組みから自由になって、柔軟に、したたかに「教科へとつながる力を育てる」ことを考えてみましょう。豊かな体験、経験に裏打ちされた具体的知見を基盤に、学習者自身が試行錯誤しながら修正・訂正することで、仲間の中で育つ力を育てる実践を創造し、子どもの発達の法則性にもとづき、広い意味での学問体系の系統性に基づく「教科」を創造していくことをめざしましょう。
【参考文献】
櫻井宏明(2005)肢体不自由の子どもたちとつくる教育 第5回意欲を高める集団と活動,みんなのねがい458号
櫻井宏明(2017)第1章 算数の学習を通して認識を育てる,麦の会・品川文雄・越野和之(編),子どもからはじめる算数.全障研出版部
櫻井宏明(2017)第3章 仲間と学び、育ちあう 1 肢体不自由校における教育課程と授業づくり,猪狩恵美子・河合隆平・櫻井宏明(編) ,テキスト肢体不自由教育.全障研出版部
茂木俊彦(1990)障害児と教育,岩波書店(新書)