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「網戸壊すな」と指導された日



同期の温厚なナカハラ君が、二階の更衣室から溢れる水筒を抱えて、
外れた網戸と共に二階のベランダに飛び出て、
野球人生で初めて「網戸壊すな」と指導された短めの神話。

本気で真っ直ぐに転んだりとか、
ミスをする時って一番痛いし、一番面白い。

ある夏の日

日曜日の昼、遠征で電車にのり、遠くのチームとの対戦である。
田舎を走る電車がようやく着くとそこからバスに乗る。
このチームは場所は遠いが、なぜか縁があり年に何回か練習試合をする。
そのお陰で電車の乗り換え等は鍛えられた。

バスに乗り、一番近いバス停で降りる。そこから10分ほど歩く。
真夏の昼間、熱されたコンクリート上から厳つい熱さを感じながら、
坂を登るとそこが野球部のグラウンドだ。

まじでクソみたいに熱い

A CHI CHI A CHI 燃えてるんだろかぁーである。

実際に燃えているのである。

郷さん。本当に燃えているのである。

練習用のグラウンドと部室、着替え用の部屋、シャワー室、空調までも用意されている。

「私学は良いよな。」

「でもマネージャーあんま可愛くねぇーなぁ」。

二階のグラウンドを見下ろすことが出来る部屋で、
ポロシャツを脱ぎながらと同期がボソッと言った。

この部屋は薄暗く、ある程度の細長さで、横幅1メートルもないぐらいのベランダが付いている。そのベランダからグラウンドがすぐ横、グラウンドに指示を出せるくらい近いのだ。

ちゃんと照明はつけずに遠征メンバーの25人ほどがみんな忙しめに着替えている。
試合前、特に遠征となると着替えるタイミングはみんな同じだ。
相手チームはもう既にランニングを終え、キャッチボールを開始している。
時間としてはかなり早い。僕たちが遅れている訳ではない。

マネージャーがあまり可愛くないことがメインの会話となる傍ら、
笑い声や、やめろっとかそんな声が交わされ、
誰が誰とキャッチボールするとか、今日のノックの流れはとか、そんなことで時間が過ぎていく。

僕も着替えを済ませ、グローブやスパイクの確認をしていた時だった。

溢れた水筒

僕の目の前で着替えていたナカハラ君(ナカちゃん)の水筒が彼のバッグの中で溢れていた。グローブやスパイクが濡れると大変になるので、あ!となり、

「あ、ナカちゃん、水筒漏れてるよ」

と僕はボソッ言った。若干周りで着替えていたみんなも

おい、おい、となり。その時点でみんなちょっと笑った。
おいナカちゃんの水筒が溢れてるぞぉーと、野球部の情報伝達は早い。

ナカちゃんは、

「あ!やべ!」(これ以上のギャグは今後に響く)

と言って、水筒を抱えてとりあえずベランダにその水筒と出ようとした。
このくらいの小さい事件でも半年ぐらいネタにされるからである。
ここからは、もっと、すごい狭い世界の話。

ナカちゃんは高身長で身体は細く、ものすごく優しい。
ピッチャー。長距離走がえげつなく早い。野球部って走り込みすごいよねーと他人事で言う女子に言いたい。ナカちゃんの走りはえぐい。見たら吐く。
野球の部類で言うと少し地味の方に入るが話すともちろん楽しい。温厚。

そのナカちゃんが小さくなりながら、水筒を溢さないように全身で抱えてベランダに小走りで進んでいく。その様子をみんなも若干笑いながら見ている。

ナカちゃんは、水筒を抱えながら、ぴょんっとベランダにジャンプした。

伝わって欲しいこのぴょん具合。
膝を曲げて低い体制で、他の場所に低いジャンプでパッと移動する感じ。

ナカちゃんの場合はもう少し勢いがあるので、普通の人からすると

びょんっだ。

夏の昼、田舎の野球グラウンド、ミーンミーンとセミが鳴き、下のグラウンドからは、キャッチボールで、既に相手高の厳しい声かけが始まっている。スプリンクラーで水も撒かれ始めている中で、

ナカちゃんのぴょんっに網戸の外れる

「ツァン」

という音が合わさった。

一瞬何がなんだかわからなかった。

ダイハード過ぎて。

果敢過ぎて。

ナカちゃんは水筒ではなく、外れた網戸がベランダから落ちないように掴んで、ベランダで転んでいる。

信じられなかった。

水筒を抱えて網戸をぶち破ってベランダへ飛び出たんだ。

網戸が彼と一緒にジャンプしたかのようにも見れた。

1. 水溢れた、やべ、

2. 網戸突き破ってベランダに出る

もう頭がおかしい人の行動。
薬やっててもこんなことしない。
この頃少し地球の男に飽きたところぐらい信じられない。

問題は網戸の外れ方。

ナカちゃんの体に引っ付くように平行に網戸が外に飛んでいる。

「ツァン」

その狂気的な状況と怪我のない網戸を頑張って直しているナカちゃんを見て全員大爆笑である。

相手校からすると
自分がグラウンドでキャッチボールしている時に、
上の二階から誰かが網戸と共にベランダに飛び出してきたら

トムクルーズだと本気で思う。

思いっきり網戸にタックルしてベランダに転んでいる。
しかも守っているものが水筒である。
実際に相手も気づいたか、気づいていないのか。
でもその彼がトムクルーズと違うのは、彼は慌てて網戸を直している。

「やべーやべー」と言って網戸を直している。

二階の部屋からは死ぬほどの笑いが聞こえる中で、

「やべーやべー」と言って直している。

爆笑の中の爆笑である。

これはもう何年経ってもネタにされると分かりながら

「やべーやべー」と直している。

みんなようやく理解する。
部屋が薄暗いせいで網戸が良く見えていなかった。部屋の窓は完全に開いていて、グラウンドが完全に見えるように見えていた。
もちろんナカちゃんには見えていない。慌てているので特に。

ていうか僕もそもそも網戸があるなんて知らなかった。
そんなもんだから、完全にベランダへ直行する勢いでベランダに飛び乗ろうとしたら見えない網戸があって、温厚なナカちゃんが完全にダイハード。

本気って怖い。
真っ直ぐって怖い。

温厚なナカちゃんが一人でに

1. 水溢れた、やべ、

2. 網戸突き破ってベランダに出る

そんな僕たちの大爆笑している中で、部屋のドアがノックされた。
みんな静かになる。

キャプテンが呼ばれる。

数分してキャプテンが帰ってくる。

「えとー、みんなちょっと良い?」

みんな一瞬やばいことになるんじゃないかとキャプテンの話を聞く

「えとー今相手校のコーチから注意があって」
緊張が入る。

「うん、あのー」

「網戸壊すな」って



シンプル過ぎてみんな爆笑した。

コーチって投げ方とか打ち方とかを教えてくれる人だよね?
体の使い方、配球とか教えてくれる人だよね?

「網戸壊すな」。

野球を12年間やったが、野球を学んでいて初めて聞いた種類の指導。
野球人生で「網戸壊すな」と言われる日が来るとは。
どういう状況になったら相手チームのコーチに、

「網戸壊すな」と注意を受けないといけないのか。

そう、ナカちゃんの水筒が溢れるだけで良いのだ。

1. 水溢れた、やべ、

2. 網戸突き破ってベランダに出る

だけで良いのだ。

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