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人生は、壮大な実験なのだけれど。

知り合いが、こんなnoteを書いていたので。

最後に自分で振り返ったときに「やべー人生送ってきたな」と思えるような人生にしたい。 わたしの人生を誰かに話した時に「そんな感じでも生きられるんだ」と思ってくれても「そうはならんやろ」と思ってくれてもいい。

この感覚、個人的にはすごく共感できます。

私自身が首都圏から仙台、仙台から今の場所に移住してきたのも、
「ありたい暮らし」に近づいていきたい、都会という「引力」に抗う術を見つけたい、と思ったときに、
まずは自分自身を実験台にして、その道標を探っていこうと思ったから。

(移住してnoteのアカウントをつくったとき、一番最初の投稿にも同じことを書いていました)


この根本的な考えは今でも変わっていないのだけれど、
その上で実際にとる意思決定は、この数年で少しずつ変わってきているのかもしれない、とも思います。


たとえば、この春、3年間の協力隊任期が満了して、
次のキャリアステップをどうしようか、と思案していたとき。

今は正社員としてとある会社にお世話になっていますが、
正直、別のところに移ってまた協力隊をやる、という選択肢もありました。
今後やっていきたい、と思えることにも比較的近いミッションだったし、
魅力的なオファーではあったと、今考えても思います。

ただ、その選択肢をとろうという踏ん切りがつかなかったのは、
もう1サイクル、さらに3年協力隊をやった先の未来が、どうしても描ききれなかったから。

身を固めたい、というわけではないけれど、
もう少し長いスパンで、腰を落ち着けていられる環境にいたい、と思ってしまった。
あと数年もすれば30代も半ばに入っていく年齢で、
たとえある程度自由にやりたいことができる環境だったとしても、
3年スパンでしか将来を見通せない環境にもう一度身を置こう、という気には、どうしてもなれなかった。


守りに入っているわけでは、決してなくて。
それこそ、生活を維持するがために、自分の人生の舵取りすら自分でできなくなってしまうようであれば、わざわざここに来た意味はないし、
だったらいっそ東京に戻ったほうが、きっと「楽しい」人生になる。

ある程度安定した収入を得られる中でも、
トータルで自分のありたい姿により極大値で近接できるルートをとれる、というイメージができたからこそ、今のキャリアを選んでいるし、
あとは、実際にその航路を辿れるかどうかは、自分次第。


とはいえ、この知り合いのように、果てしなくムチャできる環境がある、ということにも、羨ましさがないわけではなくて。
若いうち、それこそ20代半ばくらいに、そういう環境に出会えていれば…!と、思う気持ちがないわけではない。

ただ一方で、大学も出たばかり、まだまだ未熟すぎたあの頃の自分が、
そんな贅沢な環境を与えられたとて、そこにある可能性を最大限発揮できたかと問われると、そんな気も全くしなくて。
会社勤めをしたり、ある程度いろんな場所で経験を積んできたからこそ、
今、取りうる針路のより極大値をとることができている、とも思う。
10年前の自分では、今と同じことはきっと、できなかった。
たとえ同じ環境が目の前にあったとしても。

ムチャできるときにちゃんとムチャしておくことも、数限られたチャンスをちゃんと掴み取るためには大事だし、
一方で、地に足をつけて堅実に歩んでいくことも、そのチャンスをしっかり活かし切るためには大事。
このバランスはなかなか難しいし、未だにその間の「いいところ」を見つけられている気はしないけれど、
己の感覚を信じて、決めた道をしっかり進んでいくしかないのかな、とも思います。

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