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せめて「思い出す」だけでも。

8月6日。
今年はオリンピックにかき消されて、関連する報道も少なめでしたが、
それでも日本という国に住んでいて、大事な日の一日であることに変わりはありません。


8月6日や8月9日は、そこまで強く意識して迎える、ということまではなかったのですが、
子どもの頃は、テレビで放映される式典の様子は、割と毎年に近く見ていた記憶があります。
夏休み中かつ高校野球の期間中なので、高校野球を見ようと毎日NHKはつけていて、そうすると自然と目に入るんですよね。
もちろんEテレにチャンネルを変えれば高校野球は見れるのですが、
式典では同じ年齢くらいの子どももスピーチをするので、今年はどんなことを話すのだろう?そんなことにも注目しながら、結局最後まで式典を見ていたような気がします。

一方、今年はというと、
正直、上に挙げたような著名人の方々の投稿を見なければ、
一顧だにせぬまま、今日という一日が終わっていたかもしれません。
最近テレビをあまり見なくなったこと、
そうでなくともただでさえニュースが五輪一色になっている中で、
率直に言うと、私の記憶の中からは、この日のことは滑り落ちてしまっていた。

広島の原爆資料館も、数年前に一度訪れたことがあるだけで、
確かにあのときは、強い印象を持って記憶に焼き付いていたけれど、
その記憶をずっと持ち続ける、想い続けるということはやっぱり難しくて。

でもたとえ、押し寄せる日常にかき消されそうになったとしても、
1年に一度でも、節目となるような日が来ると、
こうやって想いをもって発信してくれる人を媒介にして、
私たちも思いを馳せることができる。

これを今日のトピックとして書こうと思ったのも、
TwitterやInstagramでそういう投稿を目にしたというのもそうだし、
あとはフォローしてる書き手さんが話題にしているのを見たというのも理由としてはあって。

誰かが思いを馳せて、こうやって発信することによって、
別の誰かにつながっていく。
そうやって、多くの人が「思い出す」「思いを馳せる」ことにつながっていくのであれば、
ただ「思い出す」だけでも、少しは意味があるのかもしれない。

ただ「思い出す」だけ、具体的な行動ができているわけじゃなくて、
それってどれほど意味があるのだろう?と思ってしまいたくもなるけど。
みんなで「思いを馳せる」ことで、大切なこと、大事にしなきゃいけないことを共有して、また明日に進んでいけたらと考えると、決して無意味じゃないですよね。

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