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夢って、本当に必要なものなのだろうか。

本当に必要なのは、
「夢」というより「憧れ」なのかもしれない。

noteのおすすめに出てきた記事を読んでいたときに、
ふと、そんな言葉が浮かんだので、今日はそんなお題で。

(リンクした投稿そのものの話題とはあんまり関連性がないかもしれないけど、せっかくなので載せておきます)


「夢」とか「憧れ」ってのもまた定義がしづらい言葉だと思うけれど、
今私の頭の中にパッと浮かんでいる概念でいうと、
「夢」は、自分に対して持つもの。自分が主語であるもの。
対して「憧れ」は、他者に対して持つもの。他者が主語であるもの。

「夢」は、自分自身の未来の姿とひもづいている。
『パン屋さんになりたい』という「夢」は、パン屋さんになることでしか叶えられない。
字義通りに「夢が叶う」というのは、そういうことだ。

一方「憧れ」は、その憧れを抱く対象そのものの生き様が、自分自身の将来の在り方と必ずしも一致するわけではない。
他人はあくまで他人なのだから。
「○○さんに憧れてこの世界に入りました」という人が、
その憧れの人とまったく同じ道を歩むことはない。
どんなに近いところを歩んでいても、必ずどこかに岐路ができ、オリジナルな道が拓かれる。
私はこの世に私一人しかいないし、眼差しの先にいる「あなた」も、同じくこの世に一人しかいないのだから。

憧れの先にいる、その人の輝きを見て、自分自身に絶望することもあるかもしれない。
でも、そうやって現実をもがいていった先に、
違った形で、その「憧れ」に近づいている自分を見つけられる。

そうやって前に進むために、その「水先案内人」として、
誰かに「憧れる」こと、こうなりたい!という理想を描くこと、
そのこと自体は、すごく大事なことだと思う。
でも、それを自分の「夢」として、自分を縛る枷にする必要までは、ない。
描く理想は、いつだって変わりうるものだから。

「あの人みたいになりたい」自分は、
きっといつか、「あなたらしさ」を持った自分になれる。


描く夢がすべて叶うわけなどないけど あなただってわかっているはずよ
希望の先にある憧れに手を伸ばせば 明日だって手さぐり見つけるよ
頑張れ頑張れ 勝ち負けだって 本当は大事なことなんだね
頑張れ頑張れ そうさ人生は引き返せない
頑張れ頑張れ 命燃やして 続く現実 生きてゆく
頑張れ頑張れ 限りある日々に… 花を咲かせる

*本文ここまで*


「憧れの連鎖」という言葉が、すごく好きで、
そういえばいろんなところで使っています。

この人の在り方、物事へ向き合う態度が素敵で、憧れる。
自分もこんなふうになりたい。
そうやって誰かに憧れた人が、少しでも近づこうと、一生懸命取り組む。
そしてその姿が、さらにその後に続く人の憧れになる。

そんなコミュニティってすごく素敵だと思うし、
そういう好循環、連鎖が生まれる「場」を、創りたい。

そのためにも、まずは自分が誰かに憧れられるような、
カッコイイ大人にならなきゃいけないよなあ、とも思うし、
それが自分を奮い立たせてくれる原動力にもなっている気がします。

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