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《桃色の糸.》

 心が100%のったもの。それはこの頃の買い物で、気づけば基準となっていることだった。 

 茶道を始めたのは、昨年の11月。そこからお着物を着る機会がぐっと増えていた。お稽古の時にも、普段のお出かけの時にもこれを纏う。初めの頃は、祖母のものを身につけていた。冬から春にかけては、彼女がいくつか持っていた「袷(あわせ)」の季節だったからだ。ところが、6月(9月)になると裏地のない「単(ひとえ)」を、7、8月になれば透け感のある「絽(ろ)」や「紗(しゃ)」を着ることがルールだと知る。

 そうなると、お着物を新調する必要が出てくる。新車を買えそうな額の新品にはまだまだ手が届きそうにないので、向かったのは骨董市。ここであれば、五百円からお着物や帯を購入できる。ありがたい。

 5月のある日。出逢ったのは、白い「絽(ろ)」の帯だった。テッセンと思われるお花が淡い桃色の糸で刺繍され、周りにはグレーの葉が描かれている。みた瞬間に「これだ!」と思った。帯のコーナーの横にはお着物も。そこにあった紺色の絽のそれに合わせると完璧だった。心が100%のった。

 ここまで、このこだわりにしがみついてしまうのは、「買う」ことがきっかけに過ぎないことをどこか深いところで知っているからなのだと想う。お買い物をへて、これからの人生をともに歩む伴侶となることがわかっているから。お着物ともなれば、祖母がわたしに譲ってくれたように、世代を超えて暮らしのパートナーとなることもある。そう考えると、妥協を含む70%ではいけなくて、あと少しの90%でも物足りなく感じられて、その物に心が丸ごとのった感覚を欲してしまうようなのだった。ともに過ごす将来まで思い描けるというと、まるで結婚のように聞こえてしまうだろうか。


 先日、この帯とお着物を身につけ、念願のお出かけをした。好きの気持ちが全部にのったその装いは、誇りと希望と歓びで心をいっぱいにしてくれた。こだわりを持ったお買い物。この選択の積み重ねが、人生を幸せなものに導いてくれるのだとあらためて想わされる。


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