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0028 《この夏休み.》

 終わらない夏休みみたいだ。

 週の半分を祖母の家で過ごすようになって、三ヶ月ほどが経った。2020年の夏の東京は人で溢れ返るだろうから、海外にでもしばらく行こうか、そんなことを考えていた今年の始めが懐かしい。

 東京の郊外にある祖母の家で過ごしていると、小学生の頃にタイムスリップしたような気分になる。8月のやけどしそうに熱い空気も、絵の具で描いたような青い空に浮かぶ真っ白な入道雲も、小さな庭を埋める緑も、目一杯鳴く蝉の声もあの時と何も変わっていないからだ。

 だけど、わたしは大人になって、祖母は認知症になった。それがそのままわたしが今祖母の家にいる理由でもある。そのどちらも何も不思議はないのだけれど、当時のわたしにはこの未来を想像することはできなかった。祖母はいつまでも、わたしの面倒をみてくれる存在だと思っていた。それがこの夏休みは、その役割がすっかり逆転した。

 これでよかったと思っている。祖母と長い時間一緒に過ごす夏でよかったと、何年先から今を振り返ってもそう思える自信がある。小さな頃から一番大好きな人は祖母で、その人のために何かできること、それがたとえ一方通行だったとしても、その幸せを日々感じているのだ。

2020年が何もない年だったら、祖母の帰宅後の手洗いを毎回誰かがみている必要もなくて、わたしは海外に行っていたかもしれない。そうして、別々の時間をわたしたちは過ごしていたのかもしれない。でも誰も予想していなかったことが起きて、おばあちゃんと孫が一緒に過ごす日々が始まった。これが最善のことなのだと、窓のすぐ外で鳴く蝉に、青々としげる木々の葉に、照りつける太陽に諭されているような気がした。

 数日前から、夜になると秋の虫の声が響くようになってきた。毎日を繰り返していたら、間違いなく秋が深まっていくし、その後には冬もくる。今の夏休みみたいな日々にははっきりとした終わりがないから、この生活はしばらく続くだろう。自分の不甲斐なさにがっかりしたり、祖母の認知症の症状にいらっとすることもきっとある。それでもこの夏休みが続く限りは、祖母のためにできる限りのことをしよう。祖母もいつまでも子どもなわたしの面倒を二十歳を過ぎてもみてくれていたのだから。



 

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