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0027 《同じ気持ち.》

 それを見るたびに、わたしは目をまん丸く見開いてしまう。

 92歳の祖母には最近はまっていることがある。はまってもらったという方が正しいのかもしれない。

 ことの始まりは、二ヶ月前。祖母の介護の手伝いをわたしがするようになったことがきっかけだった。祖母の認知症の症状についてはよく知っているつもりでいた。その症状が祖母の人格とはずっと遠いところにあるものだということもわかっていた。それでも、24時間一緒にいると、疲れることもある。満腹を感じられなくなってしまった祖母は、目を離すと一日のうちに何度も食事の準備をしている。「ごはんできたよ」と食後一時間経った頃に何度も呼ばれることに、症状のせいだとわかっていながらも、ため息が出ることが続いていた。

 そんなある時、祖母が「かぎ針がない」と言い出した。レース編みをする時に使う、ペンくらいの太さの針を探しているらしい。糸はあったものの針は見つからず、翌日100円ショップへと買いに出かけた。

 この日からわたしにとっての驚きの日々が始まった。ものすごく得意だった料理も今は目玉焼きが精一杯だし、レース編みなんて10年以上もしていない祖母なのに、いつも作品の完成度があまりにも高いのだ。コースターや洋服の襟をイメージしてつくったそれは、編み方も数種類からなっている。まん中がブルーで周りが白と糸を組み合わせたものまである。認知症になる前につくったとしかどれを見ても思えないのだ。

 正直、時間をつぶすために何かできることがあったらと、始めてもらったレース編みだった。普通の針とはちがって落としても危なくないから安心もできた。だけど、朝起きてパジャマのまま、夜寝る直前もこれまたパジャマ姿でかぎ針を手にするほど祖母は夢中になっているのだ。

 
 そういえば祖母はいつもわたしのために針仕事をしてくれていた。小学生の頃の給食袋やランチョンマット、体操着を入れる袋も、手提げ袋もわたしが持っているものは全部、祖母の手づくりだった。そのすべてのふちにレース編みがされていたことは今も鮮明に覚えている。名前も漢字で刺繍してくれていた。アルファベットやカタカナなら楽なのにと当時気づかなかったことに、大人になってからはっとさせられたりもした。


 祖母と過ごす平日、食事づくりはわたしの担当だ。もともと料理は好きだったけれど、自分一人のためだといかに工程を減らしてつくるかを考えてしまったりする。でも、祖母のためのごはんと思うと、妙にはりきってしまうのだ。かつお節と昆布でとったお出汁で、海老と干し椎茸と茄子とピーマンを煮たら、すごく美味しい一品ができ上がったことがあった。海老の殻を剥くことも、干し椎茸を朝から戻しておくことも、茄子とピーマンをあらかじめ油で炒めておくことも、片栗粉でとろみをつけて仕上げることも、祖母のためと思うと愉しいことになる。

 もしかしたら、祖母も同じ気持ちで、レースで袋のふちを飾ったり、名前を漢字で刺繍してくれたりしていたのかもしれない。

 つくる立場になって始めて知る気持ちだった。そのすべてを教えてくれた祖母は、今日も「一針一針こうして編んでるとボケないんだよ。」と言いながら、窓辺のソファに座ってレース編みをしている。わたしのためにつくってくれるというその作品の想像以上の出来にまた驚かされるのだろう。そして、祖母のためにつくる自分の料理の出来にもまた驚くのだろう。




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