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【日記】コロナの終わり

この前、おおよそ一年ぶり、飛行機に乗った。

最初にロンドンにきた時、2020年の9月はコロナのハイシーズンだった。羽田→ロンドン便だけではなくて、羽田発の国際線はそのほとんどがキャンセルになっていた。羽田の静かな出発ロビーに、「キャンセル」の文字が綺麗に並んだ電光掲示板が光っていたのを、よく覚えている。

1年後、2021年。未だにコロナ禍で、飛行機はガラガラだった。3人席に1人、ということがほとんどで、行きも帰りも横たわって寝ることができた。空港もまだ空いていて、パラパラビジネスマンっぽい人や、留学に行くような若い個人がいるくらいだった。

2年後、2022年。コロナの規制が緩まった代わりに、戦争が勃発した。12時間で行けるはずだった実家は、北回りの航路の結果14時間以上かかることになった。それでも国際移動は盛んになったみたいで、飛行機はほぼ満席だった。なんとなく、日本人+英国人の家族が多い気がした。家族連れが多くて、海外在住の家族が片方の実家に帰省するのだろうな、と思った。

コロナが、ようやく終わりつつあるのかな、と思う。
私が暮らす英国では、日常における規制は全くなくなった。マスクも、Social Distanceもすっかり過去のことになって、マスクをしている人はほとんどんいない。観光地にも人が戻って、大英博物館なんかは土日になると人でごった返している。

2年前のこととなった卒業式は、ピッタリコロナ禍だった、卒業生と先生だけの静かな会だった。その数日前の学年集会で、教員陣の一人が「君たちは卒業式ができただけありがたいと思う必要があります」と言ったことに対して、「それは我々が自発的に抱く感情であって、外側から持つように言われる感情ではない」と反発心を持ったことを、今でも覚えている。もちろん感謝している。それは勿論だ。卒業式ができない可能性だってあった。だけど、私たちだって親に袴姿を見せることとか、最後に後輩をみてちょっと感動するタイミングとかを我慢しているのだ。必要以上に得ているわけではないのだから、そっとしておいて欲しかった。みんな何かを失っていて、それは天災のはずなのに、そこにつべこべ言われるのは違うんじゃないの、と思った。「自分からそう思う」のと、「他からそう思うことを強制される」と言うのは、結果が同じだけでプロセスが全然違う。

緊急事態宣言が出て、当時の私のアルバイト先はガクンと客足が途絶えた。若手だったから、シフトカットされる日も多かった。私はそこでアルバイトを乗り換えたのだけど、急だったと思う。挨拶をしなかった人も多かった。今は客足が戻っているのだろうか。一度行ってみたいけど、なんとなく気まずいし、もう行くことはないだろうなと思う。床のカーペットがふかふかでよいお店だった。

今のところ、2年連続でコロナでクリスマスを諦めている。2020年12月、ハリーポッターのダイアゴン横丁の撮影地として知られるヨークに行こうと思って全ての手筈を整えていた。ロンドンに外出禁止令が出てキャンセル。全て返金されたけれど、未だにヨークには行けていない。2021年12月。友達とパリ3日間の旅(うち25日ディスニーランド)の予定を立てたけれど、フランス側の渡航規制が強まって断念。電車の返金を得るまでに3ヶ月くらいを要した。5月にリベンジしようね、と言っている。今度こそは、どうにかなるだろうか。

英国ではもうマスクはしていない、といったけれど、アルバイト先ではいつもマスクをしている。マスクをした状態で仕事を始めたから、私のマスクをしていない顔を知らない人がいっぱいいる。そのままでいいのにな、とも思う。口が隠れたくらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。

とにかく、もう息苦しい日がぶり返すことが無いことを祈って。

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