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【日記】今ここで院進したい気がする

私は大学を卒業したあと、すぐに院進したいのだろうか?


寂しくて仕方がない夜があるように、シャワーを浴びながら涙が止まらない夜があるように、疲れ切って何も考えられない夜があるように、大学を卒業したらすぐに大学院に進学したいような気がする日があってもいいじゃないか。

大学の卒論のテーマを考えている。というか、歴史教科書についてやることはもう心の中で決めていて、あとは何の理論を使ってどう仮説に落とし込んでいくかなのだ。

で、私はすごくワクワクしている。英語の文献を漁りまくって、ポーランドとドイツの歴史教科書とかドイツとフランスとか旧ユーゴとかもちろん東アジアとかの取り組みについて考えて、日本語の文献も漁っている。気ままに。

ジョージ・エッカート教育研究所。ヨーロッパ内の歴史教育統合について大きな役割を担ってきた研究所だ。Webページをブラウズしていて、デジャブだと思った。私、これ高校生だった時に見た。

フラッシュバック。高校生の大したことない(特に文系は)調べ学習みたいなので、私は歴史教育と教科書を扱った。なぜだかわからないがクラスの他の人と組んでグループ発表をするというアクティブティ付きだったのだけれど、割り振られた理系のクラスメイトが「あんなの研究じゃないだろ」と言っているのを私は壁の陰から聞いていたのを覚えている。が、実際研究と言える代物ではなくて、興味の表出くらいだったと思う。妥当な指摘ですよ、キミ。

が、その時から私はずっと、歴史教育について考えるのが好きだったな、と思う。歴史教育について読んでいるときの高揚感は、新しいレゴブロックの箱を開けている時のそれに等しい。院では、ナショナリズムと歴史教育をやりたいと思っています。非ヨーロッパ圏でのナショナリズムの事例を英語で扱うことは、理論の発展にもうまく位置づけられると思うのだ。

高校生の時から、学部を卒業したら、一回就職して、そのあと大学院に行きたいと思います、と言い続けてきた。個人的にお世話になっている先生に「行きたいならそのまま院にいっちゃえばいいのに〜」と言われ、バイトの店長に「あれ、院は?」と言われてきたが、そうなのだ。私は誰にも感謝することなく院に行きたい。奨学金を取らずに、自分の稼いだお金を湯水のように使って院に行きたくて、だから間に労働が必要なのだ。経験を踏んでおくと、学びが豊かなものになるだろう、という積極的な予感も含んでいるわけだけれど。

そんなふうにいうと「真面目に考えすぎだよ」と言われるのだけれど、やっぱり奨学金を取るということは、誰かに貢献できる日が来ることを祈って勉強しているのであり、支給団体には感謝し続けるのが当然で、それは当たり前なのだ。その気持ちは欠かさないし、かかそうと思ったこともない。奨学金をもらっているということに対するエゴの表出として留学支援をやっていると言っても、60%くらいは過言ではない。

1ヶ月に一回、カロリーのことを忘れて美味しいものを食べつつ過去の恋愛と就職の話をする、過去と現在と未来をアクロバティックに繋いだみたいな友人が、1月会合においてパッタイを食べつつ唐突に、「院はオックスブリッジに出そうかな〜」と言った。彼女のおかげで投資系の就活事情の知識が増えていく。あんた先に就職するって言ってたじゃん、と言ったら、内定は遅らせれればいいかな〜と思って、と返ってきた。そのまま「BCGって内定遅らせられると思う?」と聞かれたので、それはBCGの人事に聞いてくれと返した。返したけど、やっぱりそうだよなあと思う。

やっぱり、大卒そのまま院に行きたいような気がする。研究テーマがある程度クリアにあって、だけど博士まで行く気はしなくて、何か実務経験もほしいような気がする。だけど、スタートラインはやっぱり院卒なんじゃないか。いや、気のせいであってくれ。学部卒で就職するつもりで、もしくはお楽しみは後まで取っておくマインドで、着々と準備をしてきたのだ。今更、ねえ。

突然贈与税なしで油田か風力発電装置の利権だけ来ないかな、と思う。今はSDGsの時代なので、石油を掘り当てるにはちょっと、ね。


私は大学を卒業したあと、すぐに院進したいのだろうか?


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