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【日記】5月25日

純粋な意味での日記。大学で勉強している時に日本語が聞こえるとドキッとする。日本語のテキスト机の上に広げてるけど、どうか俺に気がつかないで〜〜〜!

なんかおもしろそうなアレ

なんか面白そうなのある〜〜〜〜。

イギリスのお店の話

珍しく昼から夜まで働いた。バイトの話である。私はこのところ、朝サンドイッチとコーヒーを作り、日中大学に居座って国家公務員試験(総合職)の対策をひたすらした後に、夜アルバイトに行く生活を繰り返している。日本に帰って遊んでいる間に講義を溜めまくったので、その分をシンガポールに行く前に学習&理解しているのだ(公務員試験対策の内容自体は面白い。憲法解釈とかはイギリスの大学では絶対にやれないので、学んでいて面白いなと思う。政治学・国際関係論とかは大学でやったことを和訳して追加する、みたいな感じなので頭の複数の部分を同時にフル稼働している)。その結果、メールとSNS一般を全て放置し、通知がえげつないことになっていた。ごめんなさい。
同時に、アルバイト先は今週人が足りないようで、そこそこ働いている。その中でも、11時半のオープンから夜の7時まで働いた日があった。普段夜だけちょこっと行って閉店作業をしている私にしては長丁場である。そんな日の夜バイト先を出て、緯度が高いなりにまだ太陽がバチバチに照っている街を歩いていて思った。

カフェとかスーパーとか閉まりつつあるな?

夜の7時なので、近場のカフェか何かで贅沢に美味しい飲み物を買って、大学3時間講義を見て帰るか(家に帰ったら寝ちゃうから)と思ったら、カフェが軒並み空いていないし、スーパーは閉店準備の時間らしかった。つまりは、普通にフルタイムで働いて、たとえば朝の8時に家を出て9時から勤務して18時に上がって、家に19時ごろに帰ってきたら、すでに街は店じまいをしているわけだ。

これは日本とのそこそこ興味深い違いではないだろうか。コンビニエンスストアの便利さはどこに行っても語られるものではあるけれど、普通のスーパーですらも20時くらいには大抵のものが閉まってしまうと思えば、あんまり残業ばかりしていると家に食べ物がなくなる状況が来るのは容易に想像できる。そうなると、帰り際に食べ物を買ったりすることもできないわけだ。

イギリスの働く人々は、どうやって生活しているのだろうか?

一つのありきたりな仮説は、シンプルにあんまり残業をすることが想定されていない、と言うことだ。18時くらいには仕事を終わって食料品を買いに行けるような生活を送っているのだろうか。
もしくは、生活圏の問題なのかもしれない。私が暮らす大学の近くは、あまり「住宅地」と言うようなエリアではない。だから、もう少し住宅地の方まで出れば深夜まで空いているようなスーパーマーケットが多数あるのかもしれない。
それか、宅配サービスのような画期的なサービスの普及か?

謎は尽きない。

人と戦う話

いわゆるディベートの話である。実力行使によるそれではない。相手と意見が対立した時、こちらが理論武装するのも良いのだが(良いのかはわからないが、仕方ないとする)、一回相手の意見を受け止めた後で、「それとこれは別の軸の話だよね」と言う言い方をすると、意外と理解してもらえることが多い気がする。
となると、ディベートや話し合いの際に必要なのは、「一回論点を整理」した上で、「論点毎に自分が譲れる部分と自分がどうでもいいと思っている部分」をくっきり分けて交渉に持ち込むことだと思った。少し嫌な言い方をすれば、自分が話し合いの際に論点整理の主導権を握れば、相手のフィールドと自分のフィールドを恣意的に分けることもできる……はずである。
こんなことを考えているのは、留学に対して支援をいただく奨学金の志望動機に、「異なる意見と対立する中でディスカッションを円滑に進める方法を学びたいと思う」と言うことを明示した記憶があるので、一つ仮説のようなものが立ったのはよかったことだな、と思ったからだった。

バイトのマネージャーの話

後世に語り継ぎたいのだが、私のバイト先の人々はすこぶる人格者な方々である。どこかで書いたかもしれないが、人格者エピソードを上げればキリがない。
その中で、すごいな〜と思ったことを書き留めておきたい。悪口ではないので、本人の預かり知らないところで書いているのもお許し願いたい。
私は実際に体を動かすタイプの労働においてポンコツなので、アルバイト先でもちょくちょく壊滅的なミスをする。過ちなく、かつ先輩方と比べて(私がペーペーの下から二番目なので)できるだけ引けが無いように、かつ他人の仕事を増やすことが無いように仕事をしてはいるのだが、それでも駄目な時は駄目である。
大反省していることは前提として、「こんなミスを犯しまして……すみません…」と言った時、偉い人が言うのは、まず初手に「なんでそうなったかはわかる?」と言う教育的反省を促す言葉であり、次手は「いや〜僕/私も〇〇ってやっちゃうんだよね、だからわかるよ〜」である。そこで申し訳なさがMAXに到達する訳だが、バイトの過ちに苛つきを見せることなく(裏でどんな評価をされていようと表面に出てこない限りは影響ないので)、教育的反省を促し寄り添う姿勢と言うのは、上司の理想像に近いものなのではないだろうか。

すごい人たちだなあ、と思う。

以上。溜めまくった講義を見ましょう。シンガポール短期滞在の学生登録ももうそろそろ終わらせないとまずいゾ。


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