明治維新とUCL
ことの発端:伊藤博文
2学期、政治学の授業を受けていた。選挙制度とか、大統領制度とか、首相制度とか、そう言うことを考える授業だ。この授業で、サブ課題として中間課題に取り組んでいる。東欧とそれ以外から一つずつ選んだ、計二つの国の政治制度についてグループでプレゼンをしろ」と言うものだった。ここで使った二つの国をもとに、エッセイを書いて提出する。
自分達のクラスのプレゼンテーションが終わったところで、先生が言った。'Now I'm gonna tell you "a fan fact" - 面白いことを教えてやろう。' 「一つ前のチームが、オーストリアと日本を取り扱った。何でそこにしたのかは知らんが。日本の初代首相の名前を知っているか(私を見る)。Itoだ。この人は、俺らの大学を出ている。それも、なんの学位を取ったか知ってるか(私を見る)。知らんだろ。化学だ (※後に誤りとわかる)。面白いよな。俺は全く知らなかった。
俺も全く知らなかった。伊藤博文や夏目漱石が、弊大学に留学していたことは、弊大学の日本人学生の間ではそこそこ有名な事実である。一方で、それがどんな意味を持つのかはあまり考えてこなかった。ちょっと気になったので、弊大学と日本のつながり(明治期に限る)について調べてみることにした。
Basics
大学のど真ん中にJapan Gardenと呼ばれる石碑があって、そこには伊藤博文や井上馨を讃える石碑が立っている。ロンドンの大学のど真ん中に日本についてのものを立てるのは、例え彼らが近代日本の父だったとしてもいかがなものかと私は思っているが、とにかく立っている。
調べてみたら、2013年が彼らがロンドンに来てから150年を記念する年だったようだ。
一方で、伊藤博文と井上馨においては、UCLで学位(学士・修士・博士のいずれも)を取得したわけではなかったようだ。そこそこ頑張って調べたのだが、伊藤の学位に関する記載は見つからなかった。そもそも、彼らがロンドンに滞在したのは、1871年から1873年の間の2年間、アメリカおよびイギリスを転々としていた2年間のうちの短期間のことであり(在エディンバラ日本国総領事館, 2014)、アメリカにいたことを考慮すると、学士課程を修了するのは難しい。二人は聴講生としてUCLに関わっていたようだ。
化学?
では、どこから「化学」の学位の話が出てきたのだろうか。もう少し探ってみた。
長州ファイブたちの世話を見ていたのがUCLの化学の教授だったという記載から、「化学の学位を取った」と勘違いされたのかもしれない。
明治維新とUCL
化学の学位を取っていなかったから重要ではないわけではない。岩倉使節団として米欧に渡った伊藤博文・大久保利通・木戸孝允らが海外を留学して、日本の近代化を推し進めたことは、歴史の授業を受けていれば絶対に学ぶだろう(例 神余2015)。
おまけ
総理
小泉純一郎元総理大臣もUCLに語学留学していたことがあったらしい (UCL 2013)。なるほど。日本人留学生、うちの大学には多いしな。
ロンドン大学
いつも日本語の記事を読んでいて思うのだが、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ(UCL)をロンドン大学と省略・表記するのは、東京理科大と岡山理科大を合わせて理科大を呼ぶのと同じくらい違う。「ロンドン大学群」という連合群の中に、独自の入試・学部・建物を持った異なる大学が大量にあり、得意分野もバラバラである。UCLは教育と脳科学、KCLは戦争学というように。近年はUCLの日本人教官の方々の働きかけで改善されてきたようだが、もう少し日本でのプレゼンスが向上すると良いと思う。いい大学だし。
参考文献
森 孝晴 (2019). '薩摩藩英国留学生と長州ファイブの接点', in Bulletin of the Museum Study, 16., pp.5-8. Available at: https://iuk-repo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1141&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1 [Japanese] (Accessed on 3 March 2022).
UCL (2013). UCL celebrates 150th anniversary of Japan's Choshu Five. Available at: [https://www.ucl.ac.uk/news/2013/jul/ucl-celebrates-150th-anniversary-japans-choshu-five.](https://www.ucl.ac.uk/news/2013/jul/ucl-celebrates-150th-anniversary-japans-choshu-five.) (Accessed on 3 March 2022).
UCL (2004). East Asia links. Available at: [https://www.ucl.ac.uk/news/2004/apr/east-asia-links.](https://www.ucl.ac.uk/news/2004/apr/east-asia-links.) (Accessed on 3 March 2022).
在エディンバラ日本国総領事館 (2014). Japan-Scotland Historical Relationship. Available at: [https://www.edinburgh.uk.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000216.html#header.](https://www.edinburgh.uk.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000216.html#header.) (Accessed on 3 March 2022).
田島 繁(2018). '新島襄の足跡を辿る イギリス編 : リヴァプール、 マンチェスター、グラスゴー、エディンバラ、ロン ドン、オックスフォード、ケンブリッジ', 新島研究, 109. pp.209-225. Available at: [http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000255.](http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000255.) (Accessed on 5 March 2022).
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