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【今日の論文】安全保障を再定義する (Ullman 1983)

今日の論文

Ullman, R., H. (1983). ‘Redefining Security’, in International Security, 8(1), pp. 129-153. MIT Press. Available at: https://www.jstor.org/stable/2538489

読みやすさ:★★★★☆
目新しさ:★★☆☆☆
面白さ:★★★★★

はじめに

安全保障についてばかり考えている。リアリズムの分野でちょっと触れるような安全保障の概念だが、脱植民地主義の概念や世界史的な背景(冷戦とか)と繋がって面白いなと思う。今回は第2週から、安全保障の概念の再定義について。

参照:https://www.princeton.edu/news/2014/03/13/diplomatic-historian-and-foreign-policy-scholar-richard-ullman-dies

時代背景と共に

1983年。冷戦の最中である。1989年に終焉を迎える冷戦だが、その(一般的に言われている)始まりである1940年台から、安全保障に関する理論は成長し続けてきた。1983年はロナルド・レーガンが当選してから3年が経った年であり、1969年から始まったデタント(冷戦の緊張緩和の動き)が、1980年以降のレーガンによりまた軍拡と緊張に向かっていく中で書かれた論文である。

主張

言っていることはすこぶる明確で、「戦費だけが安全保障ではないだろう」ということである。

彼にとっての「国家への危機」は、
①生活の質を下げる可能性があるもの
②政府がとる政策の可能性の幅を狭めるもの
のいずれかである。この定義でいえば、地震も第3国との交戦も同時に「国家への危機」と定義できることになる。これはいわゆる1940年までのホッブス的(もしくはリアリスト的)な定義から離れて、定義の幅を広げようとする部分においては共通するところがある。

その上で、今までの脅威の多くが資源と土地についての対立だったことをあげ、その脅威も第三世界の国々の発展により変容してきていることを述べる。人口の増加や世界の中での周辺化の感覚が資源ナショナリズムを鼓舞し、先進国との対立につながる。いわゆるindirect threatというものだ。
だからこそ、「安全保障」を実現したいのであれば、第三世界の中での問題にも国際機関・周辺国と協力して対応する必要がある、とアメリカの政治学者に訴えかけているわけだ。

それがなんだ?

そんなに珍しい議論でもないように思えるかもしれない。だけれど、私はこれが2001年、さらにいえば9.11よりも前に行われた議論である部分が面白いな、と思う。

テロリズムに対する戦争が発生していく時代の前に、すでにそういうScholarly implicationみたいなものは作られていて、だけれど軍拡から離れることも、そのような動きを止めることもできなかったわけで、今振り返ってみて「正しかったんだな」と言えるだけなのである。

そう思うと、切ないものがあるな、と思う。

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