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【スウェーデン日記】#2: Integrationの音を探して

今日はIntegratoinの音を探して、クソ暑い街に繰り出した。

さらっと始めてみたものだが、Integrationの音とはなんだろうか。水素の音ォみたいな表現になってしまったが、誓ってまともなものである。

私はスウェーデンのサマースクールにおいて、Mitigating Migrationというコースを選択した。これは、Sustainable Developmentの理念の下、移民をどう取り扱うかを検討する社会科学系の科目である。こういうサマースクールは、シンガポールもそうだけれど、「わざわざ単位互換の制度を駆使して履修するほどではないけど勉強してみたい」科目の導入を勉強するのにほど良い。シンガポールの開発経済、スウェーデンの社会学と移民。あとはちょっとどっかで国際法とか教育学とかやりたい感じがあるな。

ほんで、スウェーデンで講座を担当する先生が、数日前にメールを送ってきた。「皆さんにとって、『移民の統合』とは何を意味するでしょうか。」

何を意味するでしょうか。ロンドンは移民が大変に多い国であるが、彼らは統合されているといえるのだろうか。そもそも定義上、Migrationというのは生まれた土地を離れた場所で生活している人たちを意味するから、その定義はかなり広い。その上で、ロンドンは国際移民が多い。大学もいっぱいあるし、ビジネスの中心地だし。それぞれの個人がその環境に反することなく、同時に不快感を覚えることなく生活できていたら、それは統合されていると言っても良いのだろうか。

オックスフォード大学が出しているレポートで、統合を妨げる要素がいくつか挙げられている。構造、社会、文化、政治的(法律制度的)、そしてアイデンティティ。What is immigrationとかで調べると、「永住目的とすること」をクライテリアにしていたり、逆にそれは含めない、としていたり、定義は定まっていないみたいだ。

ちなみに、学問上はimmigrantsとmigrantsも互換的に使われているように思われる。一年目に人文地理をとっていたので覚えているのである。Immigrantsは永住目的、Migrantsは移動してるだけ、とか色々言われているので、そこの区別は本当のところどうなのかな〜と思う。

「『移民の統合』について考えてみたら、次にそれを象徴する音を撮りに
行ってください。90秒が2本です。コースの開始が近づいたら、どこにアップロードするか指示を送ります。」

移民の統合を象徴する音かあ。なんだろう。1つは、ある程度すぐ思いついた。家から30分くらい歩いたところに、ロンドンのチャイナタウンがある。そこに行こう。取り敢えず携帯を持って、チャイナタウンに行った。

ロンドンのチャイナタウンは、そこそこの観光地であるし、アジア系の人々含め現地に住む人が気軽にご飯を食べる場所でもある。カナダに長く住んでいた知り合いの話を聞いていて面白いなと思ったのだが、カナダのアジアエリアはアジア人が大半で、白人がいるとちょっと珍しいらしい。本当のことは知らないので、話半分に聞いてほしいけど。ロンドンの方は大きなレゴショップとM&M’sの建物があるレスター・スクエアの横にあるから、イギリス人含めて結構色々な人がいる。というわけで、移民統合のわかりやすい象徴になるかな、と思ったのだ。

実際、チャイナタウンに近づいた辺りでフランス語と中国語と英語が混じり始めて、ちょうどいい例だわいと思って録音を回した。途中で私が大くしゃみをしたので編集はしないといけないだろうが、中身としては良いだろう。

問題は、もう1つだ。どうしようかなあ、と思って、家の近くまで戻ってきた。バカみたいに暑かったので、アイスクリーム・スタンドで1番安いコーンに乗っかったジェラートを買った。近くの公園でぼーっとジェラートを齧りながら(同じ公園に暑さに負けてぼーっとしている人が優に10人はいた)、統合なあ、と思う。私ももう3年も住んだらまあそこそこの移民といえようが(学問的な定義上、移民と言えるようになるまで期間は特に定められておらず、各国の法律によって理解が異なっている現状がある)、別に統合はされている感じはしないしなあ。

困ってしまって、公園の噴水の周りで遊んでいる子供達の声と、大学の自習棟の静かなざわめきみたいなものを録音しておいた。本当はKing’s Cross駅まで行ってフランス語と英語が混ざった構内放送を取ろうかなと思ったけれど、それは観光客向けの利便性を上げるサービスの一環で、私が考える統合とはちょっと違うかな、と思ったから、その手間はかけなかった。

結局、何かの目的を持って意図的に特定の国にきた人たちが(自発的ではなくなんらかの形で強制的に移住した場合は難民である)、当初の目的を達成する形で平和的に暮らせていたら、それは統合と言えて、その平穏さを録音するのはなかなか難しいんじゃないだろうか、と思うのだ。

さて、授業でどう評価されるだろうか。

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