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【日帰りParis】#5終 セーヌ川の上から/ただいまロンドン

セーヌ川の上から眺めるパリの街は空が広くて美しくて、そこに大陸国の余裕を、もしくは素晴らしき絵画を生み出してきた理由を見た気持ちがした。


日帰りParis編最終章は、ルーブルとオルセーの間と、オルセーを出てから家に帰ってくるまでの帰路を辿ろうと思う。

ルーブル美術館を歩いている間に、そういえばオルセー美術館というものがあったなと思った。ルーブルの後にはエッフェル塔に行こうと思っていたが、オルセー美術館に行こう。バスで18分、徒歩で16分らしい。歩くか。


ルーブル美術館を抜ける。ルーブルはコの字型の建物で、コが開いているところから建物を眺めるとなかなか壮観だった。写真撮影している親子がいたので、ついでにカメラを渡してとってもらった。カメラを指差して首を傾げればそれで意味が伝わったらしく、とってくれた。確認して?という感じなので見てみて、C’est tres bien, merci. と言ってみる。Have a good day.と返ってきた。誰が何語を喋るのかわからない。C’est tres bienが今日私が喋ったフランス語最長のセンテンスでした。

コの字を抜けると、建物の裏はセーヌ川だ。太い道を渡って川沿い左斜め前にオルセー美術館がある。ぼんやりと歩くと、空が本当に広い国だ。並木と帝国主義時代より前の低めの建物が並び、その上に美しい空が広がる。イギリスの空も綺麗な時はあるが、フランスのそれとは比べ物にはならないような気がした。

オルセーに行くのにセーヌ川を渡る。橋の上で遠くを望んで、私が大好きなカミーユ・ピサロ「セーヌ川とルーブル美術館」の景色そのものだと気がついた。何かがあるわけでもないのに、その景色はどの方向を向いても美しくて、写真を撮ってもそこには残すことができなくて、だけどその景色は、たった1日のこの旅行で一番私の胸を打ったものだった。

右端にカメラの紐映り込んじゃった

どの国にも、息を呑むほど美しい瞬間というのはいくらでもある。テムズの上から眺める朝日は美しいし、日本の春でも、シンガポールの真夏の日々でも、オーストラリアの星空でも、美しいものはいつでもある。だけど、セーヌの上から眺めたフランスの空と川と建物、それからそこにちらほらと翻るフランス国旗の当然のような美しさは、フランスが育んできた美術家たちの生活の横に寄り添ってきたものであり、そして決して忘れないものだろうなと思う。言葉にも写真にも表せないほど、綺麗だったのだ。

オルセーを出て、電車の時間が迫っているので、もともときた道を辿って戻る。今回いけなかった場所はたくさんある。宮殿系は全くいけなかったし、エッフェル塔まで辿り着くこともできなかった。エッフェル塔はいってみたかったけど。また絶対に来るからいいかな、と思って、セーヌ川沿いを歩く。というか、セーヌ川の上から見える景色を目一杯楽しんでから帰りたかった。最後にオルセーを振り返れば、建物の合間からエッフェル塔がチラリと見えて、なんだかそれでいいか、と思った。

これは多分エッフェル塔


少しだけ書いたが、フランス国旗。フランスの建物には、建物の上に、フランス国旗もしくはEU旗が翻っている。なぜかわからないけれど、空の広いパリの空に翻る旗は、なんだかそこにあるのが当たり前というような馴染み方をしていて、綺麗な国だなあ、と思ったのだった。

そのままぶらぶらと歩いて、魚屋駅に戻る。今度は自動券売機でチケットを買い、Gare du nordへ。「チケットを買えなくて…」型の詐欺を断る。スーパーのような売店のようなお店で、日本へのお土産にお菓子を買い込む。ユーロスターの改札口に向かって、フランスの出国審査とイギリスの入国審査を合わせて済ませる。イギリスの入国審査を済ませているということは、法律上ユーロスターの乗り物の中はどこの国のものになっているのだろうか。行きも帰りも電車はスーツケースを抱えた人でいっぱいで、新幹線みたいなものだもんなあ、と思った。

帰りの電車も2時間黙々と寝て、気がつけば日は落ちてKing’s Crossに着いていた。そのままテクテク歩いて、暖かな我が家(セントラル・ヒーティングなので家を空けていても暖かい)にたどり着いた。化粧を落として、うどんを茹でて食べた。

Gare du Nordを上から

お土産を広げてみる。オルセーとルーブルでそれぞれモネの素敵な絵の葉書を全部で10枚くらい買った。家の絵葉書の束と合わせてニマニマする。ルーブルのモネの絵は絵葉書化されていないものも多かったのがちょっと残念だけれど。

絵画を見るのが好きなのはどうしてか?と問われたら、人生には大変なことがいっぱいあるけど、誰かの目に映る世界はこんなに美しいんだな、と知ることで、生への希望と救済になると思うからです、と思う。絵画に表象される景色というのは、誰かが抽象的に見た想像の世界であって、それだから良いのだと思っていた。だけれど、朝の電車の中から見た淡い黄色の光も、はためくフランス国旗も広い空も、そして何よりもセーヌ川の景色が、彼らがキャンバスに写し込んだ世界は、いつかどこかの時点で真実だったことを証明していると思った。どこかの一瞬で、もしくは一瞬の連続で、私たちは美しい世界に生きている。プラクティカルな面でしんどいことは尽きない。だけど、その背後にあるマインドの面では、世界は広く美しいのだ。

また明日から、頑張ろうね。疲れたから旅にでて、ちゃんと元気をもらって帰ってきて、良いことだなと思う。

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