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十勝体験記〜池田ワイン城・オークリーフ牧場インタビュー編〜

今年5月、私と柊太は北海道十勝にいってまいりました🛫

今回はそのときのインタビューをまとめた記事です!

池田ワイン城🏰

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今回は、池田ワイン城所長であり、十勝池田町町長の安井美裕さんにワイン城やワインのことをインタビューさせて頂きました!

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ーーワイン城ではどのような取り組みをされているんですか?

ワイン城では、ワインの製造現場や貯蔵施設の見学に加えて、販売も行っています。
記念品としてワインを利用することもありますね。
中学生が、ブドウ畑にお手伝いに来てくれることがあるんですよ。
その中学生が、成人する時に彼らの生まれた年に作られた記念品のワインをプレゼントしたりするんです。
取り組みとは少し違うかもしれませんが、池田町はドリカムの吉田美和さんの故郷なんですよね。
吉田美和さんと、中村正人さんの記念手形があります。

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ーー十勝ワインが生まれたきっかけは何だったんですか?
1952年の十勝沖地震、それに次ぐ冷害で農作物が取れなくなってしまったんです。農業が基幹産業の池田町は大ダメージでした。そこで、農業を進行するためにブドウの栽培に挑戦し始めたんです。ただ、それは、知見のある人からすると無謀と言わざるを得ないものでした。池田町の冷涼な気候ではブドウが育たないんです。当時は専門家が居なかった、知識不足だったからこそ始められたチャレンジだったんですね。ただ、当時の人々のたゆまぬ品種改良の努力により、寒さに強い、世界で類を見ない独自のワインの製造に成功したんです。十勝ワインは先人たちが不可能を可能にした結果の産物なんですね。
                           (編集:東柊太)

〜ワイン城で働く人たち紹介〜

総括マネージャー関川さん🙎‍♂️

関川さんの地元は十勝の帯広。大学で地元を飛び出し大阪に4年、仕事で東京に18年。都会で20年以上過ごされた関川さんが、今、池田町で働いているのは、地元へ恩返しがしたいからでした。
もともと関川さんは「都会で学んだ知識や技術を地元に還元したい」と思って地元を出たそうです。
そんな関川さんが地元に戻って感じた十勝の魅力は人のあたたかさでした。都会にはない心の余裕を感じさせるような温かい人間関係が十勝にはあったそうです。
都会だとどうしても、人との関係は希薄になりがちです。「他人は他人という空気感を感じていた」と関川さん。
そんな関川さんが現在取り組まれているのが地元の人に愛されるワイン作り
地元を愛する関川さんだからこそ、地元の人との繋がりも大事にされているんだろうなと感じました。関川さんのお話を聞き、人が十勝の魅力を作っているのだというメッセージを受け取りました。


佐藤麻衣さん🙎‍♀️

池田ワイン城で働く佐藤さんのこれまでについてお話を伺いました。
佐藤さんは池田町で生まれ、進学し、高校を卒業。その後、池田町で就職しました。
社会人になって数年は積極的になれず、言われたことをこなすだけ、上司に怒られてばかりの日々を過ごしていたそうです。
そんな佐藤さんに転機が訪れたのは池田町のお菓子屋さん「Happiness Dairy」に勤め、そこで北海道物産展の仕事を任されたときでした。
初めての物産展は西武池袋。それまでをずっと池田町で過ごしていた佐藤さんにとって初めての東京、初めての飛行機、初めての新幹線。
「そこで私の世界は大きく変わりました!」
そう佐藤さんは楽しそうに話してくださいました。
そこから物産展の出張で国内を巡ったり、海外旅行をしたり…知らない世界を知ることが本当に楽しくてワクワクしたそうです。
そんな佐藤さんが今、池田町に戻り、ワイン城で働くのはなぜなのか。
やっぱり生まれ育った池田町が好きで、その魅力を周りの人にも伝えていきたい、そして周りの仲間たちと一緒にその活動をするのにとてもやりがいを感じるからだと教えてくれました。
ワイン城の魅力を語る佐藤さんはとっても生き生きとしていて、私も池田町が、そして池田町のワインが大好きになりました。
(私がいただいた池田町のワイン「山幸」ってすごく酸味があるんです。今まで私が飲んでいたワインとは一味も二味も違くて、私の中でかなり衝撃的でした。ちょっと一回皆さんにも味わっていただいて衝撃を受けて頂きたいです🍷)

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安井町長、佐藤さん、関川さん、我々のためにお時間くださり、ありがとうございました!


Oak leaf(オークリーフ)牧場の柏葉社長インタビュー

ワイン城にいった日、私たちは十勝の方に紹介して頂き、Oak leaf(オークリーフ)牧場を営む柏葉社長にもお会いすることができました。
柏葉社長は奇跡の卵と呼ばれる『ハーブ卵』を生産しています🍳

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「ハーブ卵」とはOak leaf(オークリーフ)牧場で伸び伸び育った健康な鶏から生まれた卵です。口コミによると、科学的には解明されていないものの、卵アレルギーの人でも食べられる卵なんだとか……!!!

今回はそんな奇跡の卵『ハーブ卵』を生産するOak leaf(オークリーフ)牧場 社長 柏葉さんにお話を伺いました。


—「ハーブ卵」はどういった思いで作られたんですか?

元々は、自分がおいしい卵を食べたくてスタートさせたんだよね。
今までいろんな卵を食べてきたけど、自分が心からおいしいって思う卵には巡り会えなくて、だったら自分で作っちゃおうって!
みんながやってないことに取り組みたくて、オンリーワンの卵を作りたかった。

—卵の開発をすると決めた時、周りの反応はどうでした?

周りはみんな反対した。やっぱり、こういう本当に美味しいものを作る人って”変人”なんだと思うんだよね。
自分が儲かるようにしようとか利益を優先してちゃダメで、コストを惜しまなければ本当に美味しいものは作れる。だから美味しいものがいっぱいの十勝はきっと変人が多いんだと思うよ笑
「ハーブ卵」は、エサにこだわったり、鶏1羽あたりの飼育スペースを広くして鶏のストレスを軽減したり…
自分が自信を持って「本当にいいものです」って提供できるものをひたすら追求した。「ハーブ卵」は自然で育った鶏の卵本来の味に限りなく近いんだよ。

—ところで、柏葉社長はどうして農家になったんですか?

家がもともと農家だったから。最初は農家を継ぐ気は全然なかったよ。
でも、農業と家事を両立する母親の姿を見て気持ちが変わっていった。
当時は家族で農業をしていて、僕の母はそれこそ朝の4時から夜中の1時位までずっと働き詰めだったんだ。他の農家に嫁いだ女性たちもみんなそんな感じだった。
女性だけがこんなに働き詰めになってしまうのはなんて不平等なんだ、おかしいって思ったよ。だから僕がそれを絶対変えてやるって思った。それで真剣に農業に向き合い始めたよ。

—具体的にはどのように変えていったんですか?

もともとうちは畑作と酪農を兼業していたんだけど、それを肉牛専門にした。他にも効率化できるように機械を導入したり、従業員を雇って働き手を増やしたりしたよ。
取り組み始めて3年で母親が農業をしなくていいようにできたんだ。その時は本当に嬉しかったよ。

—そこに至るまでに大変だったこと、きっとたくさんありますよね…?

もう躓きだらけだったよ。農協とのバトルとかね笑
当時、肉牛専門の農家ってあんまりなかったから、まずそこの理解を得るのが大変だった。借金もたくさん背負ったし。
普通だったらやめるか自殺でもしてるか、それくらい大変だった。
でも、目標とか計画を立てて全力で取り組んだら、周りの人が応援してくれるようになって少しずつ形になっていったよ。自信にもつながった。
僕は特別な能力があるわけでもないし、だからやる気と行動だけだよね。本当に。
卵作りだって農家だって最初から自分はできないって思ったら何もできなくて、自分はできるって決めて行動すれば誰でもできるって思ってるよ。

—柏葉社長、ありがとうございました!!!


努力に裏打ちされた自信と、出来る、やると決めて突き進む行動力…
なんか、本当に、ものすごくかっこよかったです。

そして、贅沢にもハーブ卵で卵かけご飯をいただいたのですが、めっっっちゃくちゃ美味しかったです。人生ナンバーワンの卵かけご飯でした。
オークリーフ牧場で育った牛のステーキもご馳走して頂きましたが、私は熱々のステーキにはありつけませんでした…(わかる人にはわかるお話)
次の十勝ではリベンジします!!!
柏葉社長お話聞かせてくださりありがとうございました!
                           (編集:堀真菜)

十勝体験記〜渕山農場編〜はこちらから▶️
(後ほどリンク載せます)




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