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第三話初稿 阿賀北ノベルジャムプロトタイピング

つらい

 いやしんどい。
 びっくりするくらい頭が働かなくなってきた。これまで毎日執筆する習慣が無かったため、梅雨の天気も手伝って体力が削れに削れている。

 あと、ここにきて自分の脳みその薄っぺらさを否が応にも自覚させられる。一か月という期間が決まっているからそれでも走りきるしかないと思えるのは良かったが、睡眠が削られているためどっこいどっこいだ。

 このプロトタイピングの中で「継続して無理なく執筆できるやり方」を修得したい(切実)。そんな第三話初稿である。

※扉イラストはみんなのフォトギャラリーからももろ illustrator 絵本さんのイラストをお借りしました。

2020/07/22追記 エブリスタにて本稿が上がりました。編集の藤井創さんに校正をしていただきました。

第三話初稿

 番傘の中。冷えた体に、人の体温で温まった空気を感じた。

「……」

 目つきの悪い狐面がジッとこちらを観察している。僕が騒ぎそうにないと判断したのか、顎を掴んでいた手が離れた。絶対に跡が残っただろう。手が離れた今も頬がジンジンする。
 それでも、男から目が離せなかった。全身の毛が逆立っている。

「すまない」

 もう一度、今度は花嫁の小さな背中に向けて「すまない」と言った。無念がにじむようだった。
 男の声に頭で火花が散る。そうだ、自分はこの男を知っている。

「貴方は、姉ちゃんの」
「ええ。私の旦那様になる人で、あんたの義理のお兄さんになる人よ」
「……面映ゆいな」
「照れているところではないのですよ」

 思わず、といった姉の呆れ交じりの声に「うん。そうだな」とこぼすと男は狐面の結び紐をしっかり結びなおして周囲を見回し「よし」と呟いた。

 沿道は混み具合がひどくなり、雅楽の演奏も最後のひと踏ん張りと言わんばかりに熱が入る。狭く暗くなる森を進み、どうやら花嫁行列が終わりに差し掛かっているらしかった。

 普通、花嫁行列というものは花嫁が花婿の待つ屋敷へ赴くものだ。
 花嫁が実家を出て、親類縁者に囲まれながら花婿の家まで歩く。月明かりと提灯だけに照らされながら、これまでとこれからを想って進んでいく。そうして花婿の待つ屋敷に迎えられて祝言を挙げるのが当たり前なのに。

 ここに居てはならぬと自覚しているはずなのに、男は自分と歩を合わせている。離れる気は無いようだった。しかし行列や沿道から彼を指さす声は聞こえない。花嫁である姉ももう花婿が居ることを忘れたのかと思えるくらい口をつぐんでいた。

 花婿の声に胸がざわつく。怒りからではない。戸惑いだ。自分はこの声音を知っている。知っていて、寒いような暖かいような心地になっている。この男が姉の隣に立つことに、異様な不安を覚えるのだった。

 僕ら姉弟は両親を早くに亡くしたが、幸い人には恵まれ、姉弟の学費は奉公先や近所の人に助けてもらえた。姉は高校を卒業すればその恩を返そうとよく働き、商店街の人達ともおすそ分けをし合って生きていた。

 そこに、家族が増える。最初は警戒しつつも歓迎していたように思う。どうあれ、弟を守ることを念頭に置いてきた姉が自分の好きなようにしようとしているのは喜ばしかったのだ。しかし。

 隣の花婿を見上げても、そうした喜びは霧散してしまうのだ。番傘
の赤が花婿に照り返し、揺れるそれが嫌に似合っていた。

「あなたは」

 思い出せない歯がゆさに語気が強まる。恐らく、自分はこの男を良く思っていないのだろう。姉を幸せにできるか否かの判別がつかない。自然と足が鈍る。

「進め」

 姉の傍で跳ねた雨滴を袖で遮りながら男が言う。

「……俺が認められないというのはわかる。町のボヤ騒ぎの近くにいつもいた男だ。君に尾行されたこともあったな」
「そんなこと」
「していたよ。わざわざ山の中までついてきて、危うく崖から落ち
そうになっていた」

 よく見れば彼の袖の中から左手の甲まで、ざっくりと切った痕が見えた。

 彼を尾行して山にまで入ったという。ああそうだ。彼の言う通り、男が町に来てからボヤが増えたのだ。といっても、言われれば気付くくらいの頻度だが。

 けれど、自分はそれ以上の何かを見たのだと思う。でなければ山の中まで尾行などしまい。あるいは、何か予感でもしていたか。

 考えに沈んでいると蹴躓いてしまう。よろめいた傘と襟首を花婿が捕まえた。

「ぐッ!?」
「ん、すまない。またやってしまった」

 キュッと絞まった気道が咳きこむ。この感覚にも覚えがあるようだった。

「トヨ、どうしたの?」

 すぐ近くでの会話だったのに、まるで聞こえていなかったみたいに姉は問うた。

「聞こえていない。俺の面のせいだな」
「トヨ?」
「……なんでもない。どうかしたの」
「もうすぐ式場よ」

 花嫁が囁く。
 その言葉通り、行列は森を抜けてとある屋敷に出た。

 大きな屋敷だった。屋根は傾斜が強くて広く、狭いが水路に囲まれている。まるで豪農の屋敷のようだ。ここにも狐たちがいるようだが、何やら慌ただしい。
 近付くと「いたか」「探せ」と狐たちが駆けまわり、屋敷の外観が赤提灯の光に舐め上げられていた。

「……っ!?」

 頭に痛みが走る。明滅する記憶が脳裏によぎった。
 それはこの大きな屋敷が火にまかれる様であり、そこに飛び込んでいく自分と、皮膚を焦がす熱気の感触であった。

「トヨ」
「大丈夫か」

 花嫁と、傘を支えた花婿がこちらを見ている。「大丈夫」と言うにはあまりに現実味を帯びていたのだ。思わず自分の二の腕を掴む。蒸されたように思えた肌は雨霧に冷えていた。

「……ここで式を挙げるの、やめない?」

 ぎこちなく笑いながら、目は端々に見える赤提灯を行ったり来たりした。
結婚式の直前で会場を変えさせようとするだなんて普段の自分では考えられない。でも、先程見た幻覚がどうにも真に感じられて、姉をはじめとして誰も入らせたくはなかった。

「屋敷に入って左手に曲がるとお手洗いに通じているわ。途中の渡り廊下からは綺麗な庭がよく見えるの。一本松がそびえているわ」
「え?」
「松からの眺めはいいぞ。運が良ければ朝焼け色づく川が見える。君もいつか泳ぐといい」

 歎願むなしく、二人そろって庭の話なんぞし始める。

「いや眺めとかじゃなくてさ。なんかここは、その……言っちゃ悪いけど、燃えそうだし?」

 シン、と異様な沈黙が降りた。

「その記憶があるのなら、逃げなさい」
「……逃げろって何。姉ちゃんは」

 ずい、と花婿が近付き見下ろされる。

「言っただろう。君は、帰る事だけ考えなさい」

 ゆっくりと、含ませるように言い聞かせる姿に、父親というものを幻視した。

「お前達、何をしているんだ。早く入りなさい」
「行け!」

 屋敷には既に行列の大半が詰めかけていた。花婿が傘を奪い、僕をすし詰めの玄関に押しやると雑踏の中に消えた。

「花婿がいたぞ!!」
「どこ行ってたんだお前は!」
「行って」

 姉に押されてたたらを踏みつつ、ざわつく人ごみの中を腰を低くしてすり抜けていく。
 花婿が逃げ惑っているのか、しばらくあちらこちらで騒がしい声が駆けずり回った。

 言われたままに渡り廊下へ出ると、確かに美しい庭が臨めた。ここからどうしろと言うのか。

「やっぱり、どうにかして姉ちゃんたちも連れて」

 ふと、一本松の枝に赤いものが見えた。先ほどまで自分が差していた番傘だ。いつの間にあんなところに。花婿が登って置いたのか。

「豊久くん?こんなところでなにをしているんだい」
「!」

「花嫁と花婿は式の前にお色直しをするんだよ。今回は花婿が我慢できずに花嫁に会いに行っちゃってたから、彼はちょっと長くかかるよ。お腹が空くだろう?おやつでも食べるかい?」
「いえ、お構いなく……」

 畳広がる大広間、御膳が並び狐がひしめく中、僕は新婦家族として最前列の座布団に座っていた。先ほど渡り廊下で狐に見つかった際、咄嗟に姉とはぐれて探していたと嘘をついた。だから式場である大広間に連れてこられたわけだが、彼に限らず先程からひっきりなしに声をかけられて疲労していた。

 なんせ、いよいよもって空気がおかしい。隣の狐、行列では先導を務めていた狐に見つかって逃げ損ねてから、こちらに向けられる視線が異様なのだ。まるで祭りの縁日に居た黒い靄の塊たちのように、こちらを値踏みしているようだった。脂汗が流れる。膝の上で拳を握っていないと叫んでしまいそうになる。

 そんな状況に耐えていると、広間の両隅に控えていた狐が締太鼓を打つ。静まったところで、正面の襖が開いた。

「新郎新婦、ご入場!」

 拍手に包まれ入った二人は、僕の姿を認めると驚き、焦りの色を見せた。花婿なんかは狐面も取れていたため、それが一層分かった。
 拍手も収まり、みなそれぞれの場所に着くと、司会らしき狐が大広間に宣言した。

「ではこれより、結婚式を執り行う!」


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